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全裸旅行のたのしみ/町田康

【第39話】「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』が、町田版痛快コメディ(ときどきBL)として、現代に蘇る!! 月一回更新。
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 人間とケダモノ、どこが違うか。学校では、火の使用、二足歩行、なんて習ったが、猿は立って歩くし、寒い折、焚き火をすれば猿も当たりに来る。
 そんなことよりもっとわかりやすい人間とケダモノの違いは、「吾輩は猫である」の猫が言っている通り、着物を着ているかいないかで、犬や猫は着物を着ない。猿も着ない。
 だけど人間はどんな貧乏な人間でも表を歩くときは着物を着ている。
 ところが弘化二年夏、小田原の佐太郎のところを出て武州高萩に向かった次郞長、虎三、直吉、千代松の四人《よったり》は下帯ひとつの丸裸であった。
 いい若い者が四人、揃いも揃って衣服を着ていないのだから目立って仕方がなく、否が応でも周囲の視線を浴びた。
「なんだ、ありゃ」
 と訝しむ者があるかと思うと、指を差してゲラゲラ笑う者、絶対に目が合わないようにしながらだけどチラチラ見てくる者など、反応は様々だが、いずれにしても決まりが悪いこと甚だしかった。
「どうにも決まりが悪くってしゃあねや」
 とこぼす虎三に次郞長、
「ナーニ、下ァ向いてコソコソするから決まりが悪いのよ。真っ直ぐ向こう向いて堂々としてりゃあ、なにが決まりが悪いものか。向こう向いて歩け」
 と言った。
「そうか。じゃあ、やってみよう。どうすりゃいいんでい」
「俺を見習え。こうやって背筋を伸ばして前を向いて歩け」
「なるほどな。そうすりゃ、決まりが悪くない。そうだな、次郞長」
「いや、やってみたら余計、恥ずかしい」
「じゃあ、ダメじゃねぇか」
「やむを得ない。やはりコソコソして行こう」
 なんて阿呆なことを言いながら四人、ようやっと所沢までやってきた。
「あー、まだ、所沢か。先は長ぇな」
「昼夜兼行できたからえらくくたびれた。休憩しよう」
 と茶店に入る。
「邪魔するで」
 と腰掛けると奥から、
「いらっしゃいまし」
 と婆が出てくる。当然、身なりについてなにか言われるかと思ったらなにも言わないで平然としている。不思議に思った千代松が、
「婆さん、俺たちが裸なのをなんとも思わないのかい」
 と問うと婆、
「わしは年をとっとるでもういろんなことに痲痺して娘のようには驚かぬわい」
 と言い放った。次郞長はこれを、
「頼もしい婆だ」
 と称賛した。そのうえで次郞長はある提案をした。
「さっきから歩きながら考えてたんだがな、小田原を出てからこっち歩き詰めで俺たちはたいそう疲れている。そんな俺たちがこのまま道中したらどうなる」
「疲れて死んでしまう」
「そうだよ。そしてそれだけじゃない」
「なんだ」
「俺たちは裸だ。この裸のままで高萩に行ったら俺たちはどんな扱いを受けると思う」
「はっきり言って」
「笑いもの」
「そうだよ。笑いものだよ。つまり俺たちは疲れていること、それから裸であること、このふたつをなんとかしなきゃなんねぇ」
「なるほどな。でもどうすりゃいいんだろう」
「さあ、それよ。俺の思うにな、駕籠を雇って、これに乗って高萩までいけばいいんじゃねぇかと思うんだな」
「なるほど、駕籠に乗りゃあ、疲れはとれる」
「そればかりじゃねぇ、駕籠に乗ってりゃあ、きまりの悪い思いをしないでも済む。そのまま宿屋に乗り付ける。宿の方でも裸で歩いてきたなら、なんだ、こいつら、と怪しむだろうが、駕籠で乗り付けりゃあ、怪しまねぇで部屋へ案内するだろうよ。そっから後のことは後のこと、とにかく高萩まで来たんだから、後はもう手紙を遣るなりなんなりして、改めて考えようじゃねぇか」
「なるほど、おめぇの言う通りだ。じゃ、そうしよう。おい、婆さん」
「へぇへぇ」
「駕籠をな、四挺あつらえてもらいてぇんだがな」
「へぇへ」
 と言うので蜘蛛駕籠を呼びにやる。それでやってきた駕篭屋はしかし、次郞長等の姿を見るなり、
「なんだ、こいつら裸じゃねぇか」
「大方、博奕で負けて丸裸になりゃあがったんだろう」
 と身に覚えがあるのか図星を指し、
「こんなんじゃ、酒手はもらえねぇな。酒手どころか駕籠賃だって怪しいや」
 など言い、
「けぇろう。かえってもっと羽振りのいいお客が通りがかるのを待とう。それが無理なら仲間内で賭博をしよう、その方が楽しいよ」
「そうだな、そうしよう」
 と言って帰っていった。

 これにより当初の計画が挫かれ、仕方ない次郞長たちは茶店の婆さんに頼んで安手の単衣ものを一枚、とりあえず入手した。
 本来は四枚欲しいところであったが、生憎と一枚しか手回らなかった。
「まあ、これでもないよりましだ。とにかく高萩まで行って、宿屋に落ち着いて、後のことはそれから考えよう」
「けどよう、一人はそれでも着物を着てるからいいが、後の三人は泊めて貰えるかい。街道の雲助にすら怪しまれたのによ」
「まま、そんときになりゃなんとかならあな」
「それもそうだな」
 と呑気な四人、またぞろ街道を高萩目指してぶらぶら歩き始めた。

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