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【試し読み】セシリア・ワトソン『セミコロン かくも控えめであまりにもやっかいな句読点』 はじめに

セシリア・ワトソン(萩澤大輝・倉林秀男訳)『セミコロン かくも控えめであまりにもやっかいな句読点』は、英文法界の小さなトラブルメーカー「;(セミコロン)」が巻き起こす波乱万丈のエピソードを紹介した一冊です。
あまりにもニッチなテーマ(!?)にもかかわらず、告知後すでに多くの反響が寄せられています。
「英文法の本?」 いえいえ、文法家たちの仁義なき論争は登場しますが、セミコロンの用法を教科書的に解説する本ではありません。句読点ひとつに人々が翻弄され、また情熱を燃やす姿を描いた、ジャンル不問の本になっています。
反響にお応えして、「はじめに」を無料公開いたします。
翻訳家の柴田元幸先生に「原文の洒落っ気をあざやかに伝えている訳文」と絶賛いただいた訳文で、めくるめく句読点の世界をぜひお楽しみください。

*本ページは試し読み用に作成したもので、実際の紙面とはデザインが異なります。

はじめに 言葉のルールをめぐる愛憎


 「セミコロンはあまりにも不快」だ。ポール・ロビンソンは『ニュー・リパブリック』誌のエッセイでそう打ち明けている。「自分で使おうものなら、人の道にもとる行為のようにすら感じる」 スタンフォード大で人文学の教授を務める彼は、黒丸がコンマの上でバランスを取るその記号を目にするだけで全身に「憤り」を覚えるんだとか。ロビンソンはアンチセミコロンの急先鋒といった感じの人物だが、近代のセミコロン批判家はもちろん彼以外にもゴロゴロいる。ジョージ・オーウェルからドナルド・バーセルミまで、様々な小説家がセミコロンのことを醜悪だとか無意味だとか、あるいはその両方だという見解を延々とのたまってきた。カート・ヴォネガットは一切使わないことを推奨し、「まったくもって何の意味も持たない」記号だと批判。「何か意味があるとすれば、せいぜい大卒アピールになる程度である」と文筆家たちを戒める。さらにセミコロンのことを「この世で最恐の句読点」と称するイラスト入りのガイドは、ネット上でなんと80万に迫るシェア数を記録している。しかしセミコロンが生まれた15世紀、それを考案したイタリアの人文主義者たちとしては、文意の明確化を補助するツールのつもりであって、(現代のロビンソン教授が評するような)「明確でない考えを取り繕う」のにもっぱら利用される「これ見よがし」の記号というわけではなかった。19世紀の末に目を移すと、当時セミコロンはまさに流行り⚫︎ ⚫︎ ⚫︎の記号で、使用される頻度はお仲間のコロンに大差をつけていた。かつては称賛されたセミコロンだが、今や実に多くの人が、実に不愉快で、実に扱いにくいと感じるようになっている。どういう経緯でこんなことになってしまったんだろう。
 こんなことを考えるなんて、とことん悪い意味でアカデミックだと思われるかもしれない。句読点について、ましてその歴史を遡ってまで、ああだこうだ考察して何になるんだ。すでにストランク&ホワイト著の『エレメンツ・オブ・スタイル』【★1】というコンパクトなガイドや『オックスフォード・マニュアル・オブ・スタイル』のような分厚い辞典の類いがあって、それを見ればコロンやコンマの誤用はちゃんと正せるじゃないか。その手のことにはルール⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ があるんだ! だが実はルールを示すタイプの句読法ガイドというのは、歴史を見てみると比較的最近作られたものだ。19世紀以前は、文章に句読点を施す方法(いわゆる「点の打ち方」)の指針として、文法家や学者の大多数が個人の好み・判断の方を重視していた。例えばスコットランド啓蒙に携わった学者ジョージ・キャンベルは、アメリカ独立宣言が署名された1776年にこう論じている。「言語というのは紛れもなく慣習の一種である……一部の批評家は「我々の言葉を司る慣習に法則を与えることが文法の仕事だ」などと倒錯した思いを抱いているようだが、それは誤っている」
 だがキャンベルやその同時代人の大半が「倒錯」だと見なした考え方は、たちまちごくありふれた方針として定着。18世紀も終わりに近づくと、論理から導き出したと称する規則体系を採用した新たな文法書が出てきた。その中身を覗いてみると、名文家として評価されてきた作家たちの言葉づかいが躊躇なく攻撃されている。ミルトンもシェイクスピアも「とんでもない誤り」を犯しているとしてこき下ろされ、文法家の手で改変が施された。書き手の死から数百年も経った後に作りあげた規則に無理やり従わせようとして、名作の文言を書き換えてしまったのだ。
 しかし新しいタイプの文法書が勢いを増すにつれて奇妙なことが生じた。言葉の決まりに関する混乱は減るどころか、どうやら増加⚫︎ ⚫︎ してしまったようなのだ。乱立する規則体系の中で一体どれが⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ 一番正しいのか、誰にも分からなかった。セミコロンなどの句読点は、使い方を細かく決めれば決めるほど、ますます混迷の色を深めていった。セミコロンの機能を厳密にすればするほど、皆ますます不安を感じるようになっていった。いつ使えば良いんだろう、どう解釈すれば良いんだろう。文法家たちは、自分が提唱する規則集の方が優れている、いいや自分の方が、と激しく争い、さながらネット上のレスバトルの19世紀版のような状態に。さらに法廷でも句読点の扱いをめぐって口角泡を飛ばす論争が生じた。1875年に可決された法令の中に紛れ込んだセミコロンのせいで「夜11時以降のアルコール提供は禁止と解釈される」という判決が下され、ボストン中がパニックに陥ったのだ(同法の運用開始から改定まで6年もかかったが、ボストン市民はいつだって機転が利くので、すっかり夜が更けても酔っ払える裏技を早々に編み出していた)。
 これからお話しするのは、そんなセミコロンの物語。過去から現在にいたるまでの道のりをたどりながら、明確性を生むための記号が混乱を生むさだめの記号に変貌していった様子を跡づけていく。そこで語られるエピソードはセミコロンの歩んできた道のりをハイライトでお届けするものになっている。どういう変貌を遂げてきて、その変貌で何が重要だったか。その鍵は、単なる記号をはるかに超えるような考えや気持ちを表現し呼び起こすという、セミコロンの持つ力にある。セミコロンはいわばひとつの場であり、私たちが言語、階級、教育に関して抱く恐れや望みがそこに詰め込まれている。ささやかな記号だけれど、そのいたずらっぽいインクの滴【★2】には壮大な思いが凝縮されているのだ。
 セミコロンの生い立ちは、句読点だけでなく言語とその規則一般についての物語でもある──そしてその歴史は、規則に関して口にしがちな神話⚫︎ ⚫︎ に疑いを投げかける。文法というのは(よくある神話によれば)古き良き時代のもので、「昔の人は文法をちゃんと⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ 理解してた」とついつい思ってしまう。「昔は雪が降るなかでも何キロも坂道をのぼって学校に行ってた」とか「昔の人はみんな礼儀正しくて顔も整っててスリムで服装もピシっとしてた」みたいに。こういう麗しき過去の幻想は私たちの共同意識の中で衰えることを知らないが、それにはちゃんと理由がある。おじいちゃん・おばあちゃんからそういう話を聞かされるし、昔の白黒写真には晴れ着姿の1コマが保存されている。そして一番強力な要因として、こんな感じの漠然とした共通の思い込みがある。「世界はじわじわとけがされ、秩序を失っている。だから昔へ遡れば遡るほど良い時代になるはず。そりゃ昔の方が大変だった面もあるだろうけどさ。でも同時に、色んな物事が今よりはマシで純粋だったんでしょ?」
 「近頃じゃ句読点の厳密派でいるのも楽じゃない」とリン・トラスは著書『パンクなパンダのパンクチュエーション』の中で嘆いている。まるで「近頃」よりも前ならみんな正しい言葉づかいを堅く守ってて、何が正しい言葉づかいなのか、はっきり合意があったかのような書きぶりだ。「厳密派」「インテリ」「文法警察」「あら探し屋」を自称する人たちは、大多数の人が言葉を丁重に扱いそのニュアンスを理解していた時代に、社会全体で文法のルールに共通理解が得られていた過去に、心底戻りたがっている。だが、そんな過去のユートピアは幻だ。誰もが完璧な英語を話し、ちゃんとした⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ 句読点の使い方をしていた時代なんて存在しない。この歴史的事実にはしっかりと向き合う必要がある。現在の私たちの行動にも影響してくるのだから。まずセミコロンの物語を通して句読点の歴史の要点を押さえたら、さらにこう論じようと思う。文法に関するよくある話──あるいは神話──を引きずっていては言葉との付き合い方が制限されることになる、と。言葉には規則では捉えられない美しさがあるのに、それを見ることも、表現することも、生み出すこともできなくなってしまうのだ。
 もちろん言葉のルールを一通り知っていると楽しいというのを否定する気はない。どんな学問分野でも、マスターするのは楽しいものだ。だが、それよりも⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ ずっと楽しいことがある。それは句読点が働く仕組みを理解・説明できる読み手になることだ。句読点は文の論理構造を明示するだけでなく、それを超えた意味合いを生み出すこともできる。すぐれた句読点には音楽を奏でたり、絵を描いたり、感情を喚起したりする力があるのだ。読者の皆さんには、本書の中で様々な書き手の文章を眺め、セミコロンがその説得力や美的魅力に不可欠な要素であることを知ってもらいたい。扱うのはハーマン・メルヴィル、レイモンド・チャンドラー、ヘンリー・ジェイムズ、アーヴィン・ウェルシュ、レベッカ・ソルニット、そのほかフィクション、ノンフィクションを問わず英語の名手たち。そこで目にする素晴らしいセミコロンの実例は文法家の提唱する規則にはうまく収まらず、かといって単に規則の「違反」という説明もできない。
 とはいえ、言葉の規則が不十分で人工的だとしても、規則を愛する気持ちはよく分かる。というか私自身も昔は規則マニアで、アポストロフィの誤用にいらだったり、接続詞が抜けているのを見て激しい動悸に襲われたりと、そのような反応をすることこそが英語に対する最大の愛情表現だと思っているタイプの人間だった。そんな私がセミコロンの深い歴史に飛び込むことになったのは、博士課程の指導教員であるリチャーズ先生【★3】との口論がきっかけだ。先生は私が論文で使ったセミコロンに印をつけ、これは『シカゴ・マニュアル・オブ・スタイル』の規則に違反していると断言したのだった(ちなみに、先生は当時シカゴ大学出版局のトップだった)。そのセミコロンは『シカゴ・マニュアル』がズラズラと挙げるルールのうち、ある規則の正当な解釈に則ったものですと私は言い張り、何週間もふたりでひたすら堂々巡りし、『マニュアル』の規則が何を意図したものか、周りの注目も意識しながら派手に言い争った。やがて、その白熱した議論の最中に、ふとこんな思いが浮かんだ。私は規則のことをこんなにも愛おしく思い、こんなにもよく知っている気でいるけれど、そもそも規則ってどうやってできたんだろう?
 この疑問に答えるべく、埃をかぶった文法書の山をかき分ける10年間の探究の旅が始まった。文献たちが図書館の書架で人知れず眠っていた期間ときたら、何十年どころか何百年に及ぶことの方が普通なほどだった。あまりにも長く忘れ去られていたものだから、手に取るとバラバラに崩壊したり、朽ちた革装のせいで手のひらに赤い染みが付いて危ない気配を漂わせてしまったり。けれども古びた文法書の中にある言葉は活気や情熱をまったく失っておらず、私は文法家たちの繰り広げるドラマにたちまち引き込まれた。みな大衆から胡散臭そうに思われても挫けず、何とか文法書の市場を開拓しようと奮闘していたのだ。そうした文献からストーリーを紡ぎ出すにあたり、私は研究者としてのスキルを総動員した。まず科学史の専門知識が必要だった。文法規則というのは、なんと、言語を「科学化」しようという動きから作られたものだった。それには当時、公立学校に通う子どもにぜひ学んでほしいと保護者が願っていたのが何よりも科学だったという背景がある。また、セミコロンを語る上では哲学の素養も活用する必要があった。文法規則の真の歴史を知る者にはどんな倫理的義務が課されるだろうかと考えを巡らせるようになったためだ。そして最後に、セミコロンのストーリーを摑むにあたって決定的に重要だったのが、イェール大、シカゴ大、バード大などで長年ライティングを指導してきた経験である。
 文献から掘り起こしたストーリーをまとめ上げる頃には、文法への見方がすっかり一変していた。言葉を愛する気持ちに変わりはないけれど、より豊かな愛し方になった。文章の読み方は鋭く繊細になり、教え方も上達したが、それだけでなく前より善良な人間になれたのだ。何をまたそんな大げさな、と思われるかもしれない。たかが文法との付き合い方を変えるだけで人間的にも向上できるはずがないじゃないか──。本書の終わりにたどり着く頃には納得していただけていると嬉しい。文法を捉え直し、言葉のもっとも根本的で原初的な意義や目標の方に注意を向けるようにすれば、間違いなく人間的にも変われるのだ。言葉というのは、本当の意味でのコミュニケーションと他者への寛容さのためにある。
 だが説得に取りかかる前に、まずは過去とまっすぐ向き合わないといけない。言葉のルールが発明されてからというもの、おかげで改善された部分もあるにせよ、少なくともそれと同じだけ混乱や苦痛も生じてきたのだ。そして、セミコロンの使い方が世代ごと・使う人ごとに異なるということに100年前の人たちは激情を抱いていた。こうしてみると、現代の私たちと結局大して変わらないじゃないか。読者の皆さんも本書の表紙のセミコロンを見て、おそらく何かしらの感情を覚えたことだろう。ポール・ロビンソンと同じく、嫌悪感だろうか。それとも怒り、愛、好奇心、あるいは混乱だろうか。セミコロンは些細な記号だが、大きく感情をかき立てる。これから見ていくように、それは昔も今も同じなのだ。

★1=訳注:旧版は『英語文章ルールブック』という書名で翻訳されている(荒竹出版)。
★2=訳注:セミコロンは ; ) という顔文字(emoticon)で使用され、これは右に倒すとウィンクしているように見える。
★3=シカゴ大学のロバート・J・リチャーズ教授。2018年5月28日現在、英語版ウィキペディアの記事では「こんなの先生が見たら絶対嫌がるだろうな」という感じのセミコロンが使われている。
Richards earned two PhDs; one in the History of Science from the University of Chicago and another in Philosophy from St. Louis University.
リチャーズは博士号を2つ取得した;1つはシカゴ大学で科学史博士、もう1つはセントルイス大学で哲学博士
先生、これ書いたの私じゃないですからね!
〔セミコロンは独立する文同士を結ぶのが原則だが、上の例では、セミコロン以降の部分は主語・述語のない「文未満」の要素になっている〕


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