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2020年4月14日の『仕事本 わたしたちの緊急事態日記』

パン屋、ミニスーパー店員、専業主婦、タクシー運転手、介護士、留学生、馬の調教師、葬儀社スタッフ……コロナ禍で働く60職種・77人の2020年4月の日記を集めた『仕事本 わたしたちの緊急事態日記』。
このnoteでは、7/9から7/24まで毎日3名ずつの日記を、「#3ヶ月前のわたしたち」として本書より抜粋します。まだまだ続くコロナとの闘い、ぜひ記憶と照らし合わせてお読みください。

【コロナ年表】四月一四日(火)
世界の感染者が二〇〇万人、死者は一二万人にせまる。
任天堂はゲーム機Nintendo Switch Liteの出荷再開の見通しが立ったと発表。実態としては在庫払底は続いており、原因は台湾や中国での製造委託先工場の稼働率低下、人気ゲーム「あつまれ どうぶつの森」の三月への発売延期が重なったため。同ソフトは三月に世界累計一一七七万本を売り上げた。

イラストレーター

❖ 新井リオ/二五歳/東京都
三年前から計画していたドイツ移住を断念し、日本で一から絵画を学ぶことを決意。ショックを受けつつも自分の進むべき道を問い直す。

四月十四日(火)
 美大受験予備校に通うことを決めた。
 然るべきときが来たのだ。
 実は、絵の基礎が足りていない実感がずっとあった。独学スタートではあったが今年でキャリア七年目、今あるスキルとテクニックで基本的にはなんでも描けるようになった。それなりに気に入ってもいる。しかし、表現の幅の狭いのだ。これがやりたくてやっているよりも、これしかできなくてやっているに近くなってきた。
 多分僕は、表面的な結果を出すことに必死で、基礎を抜かしてきてしまったのだと思う。若気の至り。昔はそれでも楽しめたのだが、歴が長くなるにつれ、表現力の乏しさ、線や構図の甘さなどが自分で痛いほどわかるようになってしまった。無知の知。すぐにでも改善したいのだが、基礎力を徹底的に上げる練習がこれまで足りていなかったためできないのだ。すごくもどかしい。そして恥ずかしい。
 例えるなら、ふつうに美味しいハンバーグもカレーも作れるけど、野菜の切り方がめちゃくちゃ雑なのだ。だから最後の説得力が出ない。家では美味しいと言ってもらえるけど、レストランはひらけない。そんな感覚をいま、というかずっと抱いていた。
 それなのに、ひとまず生きていけるだけの仕事があることに甘え、楽をしていた。この現状維持は、「このまま犬と平和に暮らすこと」と答えてくれた先輩の気持ちと少し違うのだ。先輩はもう、かなりいいレストランのオーナーになっていて、自分の料理に誇りを持っていた。

***

 僕は今日、美大受験予備校に入学申込をしてきた。
 実際に日本の美大に通うわけではないが、これまで抜かしてきてしまった基礎を埋めるため、予備校のような「勉強を主目的とする環境」に身を投じてみたくなったのだ。だって、今年一番正しい行為は勉強だから。
 まわりは高校生ばかりで少し怯んだが、「今よりもっと絵が上手くなった人生はどれだけ楽しいんだろう」と考えると、世間体などどうでもいいように感じた。
 もっと自分のために生きよう、蝶のように。俺。

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小説家

❖ 町田康/五八歳/静岡県
ボーカルを務めるバンド「汝、我が民に非ズ」のライブや講演などが立て続けに中止となり、自宅で執筆活動に専念。歌詞を書く。

四月十四日(火曜日)
 晴天。暑いのか寒いのかわからない。土壇に鶯の死骸あり。先日の風雨で死んだか。裏庭に埋葬す。筍出てあるも鹿十。細いので。九時まで「漂流」。午後、「神xyの物語」。心身の健康の為海浜を歩行。疲弊。中途で後悔す。SMに参り挽肉をバイ貝。市中閑散として人影さらになし。旅館とかえげつないことにになってんちゃうけ。夜、「曲五四」の詞を草す。感覚に任せて言葉を連ねると絶望的な言葉ばかり出てくる。知らぬうちに時勢の影響を受けているのか。弱っ。こころ弱っ。もっと陽気にいけ、どあほっ。えらいすんまへん。感覚でもない、理知でもない、そうしたものを含みつつ、心に踊る言葉を儂は探してるんや。素朴で作ってなくて、理屈のないやつ。技法のないやつ。狙いのないやつ。下心のないやつ。疲弊。早寝。深更復活してコントをミル貝。

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内科医

❖ 榎本祐子(仮名)/六九歳/東京都
内科外来勤務、日々不安がる患者さんをなだめつつ診療を行う。同じく内科医の夫と同居。休日はNetflix漬け。「Fargo」が面白い。

4月14日 火曜日
 神奈川県のクリニックへ。喘息とDMで診ているケアマネジャーさんは100人以上の入所者のケアプランを入退院時のも含めてひとりで作っている。義父が亡くなり、鹿児島までお葬式に行っても大丈夫かと相談される。飛行機も新幹線も感染リスクが高いし、感染者が急速に増えている東京から帰省してもし向こうで感染者がでたら大変だ。危ないからやめなさい、と言うと彼女はなんだかホッとして、先生がそう言うならやめます、と言う。帰れば帰ったで、田舎の長男の嫁は大変だから……。いない間にだれかが仕事をやってくれるわけではないし。
 外来の患者さんにはコロナが今後どうなるのか、と聞かれることばかり。一時高血圧がリスクだとTVで言っていたので、心・腎の合併症がない高血圧だけではリスクでないと、不安がる患者さんたちに繰り返し説明して落ち着かせる。帰るとき皆、先生も気を付けてね、と心配してくれる。いつも冗談ばかり言っている患者さんに先生、怖くて嫌にならないの?と聞かれて、う〜ん、自分で選んだ職業だからね、と答えると、そうか……と妙に真面目に考えこんでいる。コロナなんか怖がらなくて大丈夫だよ、と笑い飛ばして安心させてあげられたらいいのに。

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(すべて『仕事本 わたしたちの緊急事態日記』より抜粋)




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