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32歳にして自分らしさがわからない

こんばんは。さゆです。

先日から、どうも悲しいやるせない報告が続きます。ズドンと落ち込みすぎないように、ちゃんと日常が回せるように、今日はとても久しぶりに牛肉を、悲しいニュースを胸に閉じ込めながら食べました。

生きていたら色々ありますね。私の色々はまだそんな大した「色々」ではないかもしれないけど、それでもけっこう心身にダメージがきます。(;´Д`)

誰に何と言われようが、自分が最善だと信じる道を、ただひたすらに一生懸命、できれば後回しにすることなく、歩くしかないのだなと思います。

周りの状況やSNSやネットニュースに振り回されることなく、自分はどうしたいのか。

コロナや色んなことをきっかけに、少しずつ、でも着実に変化していく世の中を見ながら、自分自身の生き方をも見つめる機会が増えたなと感じる今日この頃です。


そうそう。昨日、いつも、noteの帯を書いてくださるよっしぃさんに「もっと、さゆさんらしさ、だせばいいのになぁって」と帯を書いて頂いたのですが(笑)!

けっこうズシンときました。


過去に、シミルボンという書評サイトで、「新妻の苦悩を救う本」という、新婚時代が色々辛すぎて、結婚について書かれた本に助けを求めてました...という、私のかなりありのままの新婚の日々を綴った書評エッセイを連載していたことがあって。

こちらの連載は、記事を、有り難きことにサイトの宣伝の広告にも使用してもらったりして、色々反響が(少なくともわたしの中では...)あったのですが、自分のプライベートやオリジナル色を出せば出すほど、それなりに批判もきます。(そんなにすごいライターではないので、とても小規模ですが...(;´Д`))


私は自分の執筆した記事の反応など、炎上してないか、毎回、ビクビクしながら丁寧に調べるのですが、正直に書いた記事に批判が来るのはやはり辛くて、最近はエッセイ的な原稿をあまり書いてないなあと気づきました。

noteでは創作に丁寧に関わる人間が多いせいか、露骨な批判というのはないような気がしますが、それを恐れすぎて、面白いものが書けてなければ本末転倒...。

うーんと...悩みどころです。

誰かに読んでほしいからみんなの見えるところで書くわけで。でも完全な万人受けの記事など、絶対に書けないわけで。

自分のスタンスというものを、なんとか折り合いをつけて見つけていきたいです。


noteももうすぐ連続更新100日目。

100日ではまだ何も変わらなさすぎて(きっと1000日でも同じことを言ってるでしょう...)100日記念に「何も変わりませんでした」という記事を執筆予定ですが、私も魂を削りながら、画面の向こうの誰かを少しでも笑顔にさせる記事を書いていきたいな、なんて思いました。

皆さま今日も一日お疲れ様でした。


さゆ

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