【毎日note223日目】生産性はゼロだけど。
こんばんは。さゆです。
本日はリハビリ的に一時的に長文に戻します。
noteを毎日書いていると「今日も書くの? もうやめたら」など言われることがあるのですが、確かにそのお言葉通り、生産性があるか・ないかで捉えると、私のnoteは、間違いなく生産性ゼロどころか、マイナスだと思います…。意味なんて見出す方が難しいほどです。
というか、私という人間そのものの生産性はゼロに近い。
人が当たり前にやっていることができないし、体力はないし、メンタルも弱い。料理も苦手だし、金は稼がないし、田舎暮らしなのに免許はない。お酒も飲めない。可愛くもなければ若くもない。コミュ力もゼロで、自己啓発本に書かれていることは大体出来てません…といった人間です。
おまけに、仕事も上手くいってるとは言い難い。
そのことは、誰かにとってはまさにマイナスそのものでしかなくて、そんな状態だと、家事のひとつでもして、家庭に貢献するなどして、文章などすっぱり書くのをやめた方が良いのかもしれません。
…でも私という人間は、書くことでしか、「生きてる」ことを実感できない時がある。
書くことで脳内を整理して生きてるのはもちろん、思ったことを誰かに伝えるのがやっぱり楽しくてたまらないのです。
文章は、上手くはないでしょう。自分の仕事の状態を見てればそれくらいわかります。
人の心を打つような表現力だってないでしょう。
時に堂々と間違えた発言をして、たぶんアホな私は、誰かに指摘されるまで、そのことに気づきもしないのでしょう…。
でも、「書きたいから書く」。しかもできれば、毎日書きたい。
なんかもう意味とか生産性とか、そんなものを飛び越えたところにある衝動に襲われて、今日もポチポチとnoteを更新するのでした。
好きだから書く。
もう完全にそれなのだと思います。
…悩みがあると、定期的に雄大な高知の海を見つめるのですが、これは心を整えるのに本当に良い行為で、「私という人間は、この海に比べれば鼻くそにも満たないのだ…」と思うことで、自分の小物ぶりを実感し、元気をもらっています。
本当に毎日、やっぱり嬉しいことばかりではなくて、もやもや鬱々と、消したい感情が湧き上がることもあるのですが、そしてそんな感情こそ完全に失くすのは不可能に近いのですが、書いて書いて、考えて考えて、読んで読んで(本など)、自分なりの着地点をみつけられればと思います。
皆さま今日も一日、暑い中、お疲れさまでした。
さゆ
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