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女の子はなぜ「今日女の子」と言ったのか~ことばと月経観と女性の自分意識

女性たちがもっと生き生きと輝くための本を書いている
著者のセミナーで、毎回ぐらい見かける女性がいました。

帰る頃には「私って、何も特別なことをしなくても、存在自体が素晴らしいんですね」「もっと〝自分〟を生きていいんですね」と明るい表情に変わるのですが、次の講演会でお目にかかると、その女性は「自分なんて・・・」。帰る頃には元気になって、またーーというのを繰り返して、苦しんでいた。

そんな、ある日のこと。
著者さんがあたしに「わかったよ」と言うんです。
彼女が「自分なんて・・・」という観念から解放されない理由が
「わかったんだ」と言うんです。

「自己肯定感を下げるようなことばを彼女に言っている人と
いつもいっしょにいるんだよ」
著者さんは、あたしに、そう言いました。

その話と「生理」と関係ないでしょ、って?
んにゃ、関係あるにゃん(=^・^=)  *突然ネコになりたいときがあります

自己肯定感を植え付けるようなことをしても、
いっしょにいる人のことばで、自己肯定感が下がってしまうのと同じで
「生理」を否定するような月経観というのは、
他の誰かのことばによってつくられてきたものなんです。

じゃあ、そのことばは、いつ、だれが言ったのか、というと、
そう遠い昔ではなさそうなんです。

政権が江戸幕府から明治政府へとバトンタッチされ、
国が一生懸命、西洋的な医学や保健衛生を積極的に取り入れた
「近代から」という説があります。

現代を生きる女性たちから見て、「あまりにも・・・」な、
ことばが出回ったのですが、
当時はそれが最先端で「正しい見解」とされていたのです。

あぁ、また前置きが長くなってしまいましたm(__)m

最後までおつきあいいただけますと、
さいわいですにゃん(=^・^=)


「今日、女の子なの」「アレになっちゃった」生理を隠すことばが生まれたのは、いつ?

「生理」に対して否定的なとらえ方があるのは、
昔むかし、「血の穢れ」という考え方があったからだ。
血は穢れである、したがって経血は穢れである、と。

だから、「生理」という〝いのちのしくみ〟を「穢れ」とし、
宮中祭祀に「生理」は禁忌とされたのだ、
という考え方があり、

あたしも「へぇ、そうなんだ」と思っていたのです。

馬場まみさんの『近代における月経観と女性の身体認識』(研究紀要 / 世界人権問題研究センター 編 (20):2015.7)という論文を読むまでは。

明治時代、国は富国強兵を謳い、西洋文明を積極的に取り入れました。
その流れで、生理を穢れとする慣習・風習を撤廃する法令を出しました。

と、ここまで聞くと、「それ以前は、ひどかったんだ」と思ってしまいがちなのですが・・・。

確かに、江戸時代には、現代のあたしたちから見て
「生理」を「禁忌」とする制度がありましたし、
地域によっては「月経小屋」といって、
生理中の女性がこもる家もあったのだそうです。

ただ、当時は「生理中の女性」は「隠すべき存在」ではなかったんです。

「月経小屋」にいる間、女性は家事・労働から解放されていた

あたしが学生だった頃、女友だちと
「今日、女の子なの」(昨日は男の子やったんかい)
「アレになっちゃった」という会話がありました。

母親と会話しているときも、
うちの母は「生理」「月経」ということばを
口にしたことはありませんでした。

そして、ちょっと前までは(ひょっとして今もそうか?)
スーパーで買い物をした際に
生理用ナプキンだけ特別に茶色の紙袋に入れてくれていました
他の人の視線から、生理用ナプキンを隠すために。

江戸時代は「生理を隠す」ということはなかった。
むしろ、周りに対して「あたしは今、生理中です‼」ということを
公表しなくてはならないとされていたのです。

それはどのようにして公表していたのかというと
たとえば、赤い布で髪を結んだり、ですね。
「月経小屋」だって、その小屋に入ることによって
「私、生理中です」
と、地域の人たちに公表する役割を果たしていたのです。

さらに言うと、「月経小屋」にこもる時間は
女性たちを日々の家事・労働から解放し、
安静に過ごす場所を地域社会が保証していた
と、とらえる研究者もいます。

何より、穢れとされたのは、「生理」なのであって
「生理」が終わったら、もう「穢れ」でもなんでもなかった。

「女性は生理があるからダメだ」みたいな考え方が
近世以前からあったと言える、確たる証拠が
あるわけではないのだそう。

「女子たる者、子宮月経の話は、医師の外、他人と話しちゃダメ」って、はあ?

月経は妊娠の本である【中略】妊娠ということは種族繁殖ということに
欠くべからざることで【中略】この大切なる婦人の任務の本をなす月経であるから余程この辺についてはご注意にならなければならないのであります。

上記は、明治政府が出した「太政官布告」です。
平安時代から続いた、「生理」を「穢れ」とする考え方を否定し、
国の富強を保つために必要な「妊娠の本である」と
公言しているわけですが・・・。

西洋から取り入れた近代衛生学では、
「生理」「経血」の不浄を否定しながらも・・・。

「毒」というのは、少量で効くんです。

「生理は穢れじゃない」「穢れじゃない」と
おえらいさんたちが声を大にして叫んだところで、

「生理中のからだは不潔になりやすい」と、
女性のからだそのものを不潔と結びつけるような
考え方(ことば)が出回るようになってきました。

さらに、女性の身心の不調・病気――たとえば頭痛、心窩苦悶、癇癪、ヒステリーなどーーと「生理」を結びつけるような考え方などが加わり、

からだが「生理」に支配されている女性が教育を受けたり、
職業につくことは「よくないこと」とし、
さらに「生理」は「性」にかかわることであるから
「秘すべき、恥ずべきもの」という考え方も出てくるようになった。

このような考え方が「正しい知識」であると
国や知識人が女性たちに教育してきた結果、

ついこないだまで
女子同士で「今日女の子なの」と言ったり、
生理用ナプキンを「隠すべきもの」とする
風潮が続いてきたわけです。

「これからたいへんね」って言われたら「お黙りっ‼」って言えたらいいんだけど・・・

前回の投稿と合わせ、2回にわたって、
「生理」を否定的にとらえる考え方が
どのように生まれてきたのかを振り返ってみました。

いま、もし「生理」を「よくないもの」「隠すべきもの」と
思っているのだとしたら、
それは、「そう思わされているだけだ」ということを
お伝えしたいです。

「生理」を「わずらわしいだけ」と否定的にとらえている
女性は、
はじめて「生理」になったときに
母親から「たいへんだわ、これから」「かわいそう」などと、
否定的なことを言われたり、否定的な態度で接せられた
経験を持つ人が多いといわれています。

でも、お母さんも「そう思わされてきただけ」なのです。

この負の連鎖が断ち切れるといいなと心から思っています。

「生理」がこなくなったら、正直、さみしいもんです。
あのときの自分を抱きしめてあげたい。

ヘンな終わり方になってしまいましたが、
これで、このお話はおしまいです。
ありがとうございましたm(__)m


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