赤ちゃんのかわいさをどう表現するか
表現力を磨く練習として、安易に「いいね」と言わないというものがあります。
何がいいのかを自分で分解して言葉にしてみる。形容詞を使わずに、なるべく具体的に書いてみる。
そうすると、その言葉を受け取った人が勝手に自分の体験から情報を引き出して、言葉に色をつけてイメージを広げていってくれます。
自分でも思います。何でも「おいしい」、何でも「かわいい」では、ボキャブラリーが貧しいなと。
「すてき」「すごい」「いい感じ」などなど、つい言ってしまうのですが。
もちろん、「おいしい」「かわいい」と言ってはいけないということではなくて、素直な感想としていうことはすごくいいと思うのです。
でも、五感を使って観察をして、自分の経験や感情と絡めた上で、つまり、その「おいしさ」や「かわいさ」をじっくり味わった上で、もう一度、言葉にしてみるのもいい。
文章や表現に奥行きがあるとか、深みがあるとかいうのは、そうやって反芻して消化した上で出てきたものなのだと思います。
選ばれて出てきた言葉が並んでいるから、逆に選ばれなかった言葉も行間の部分に透けて感じられるのかなと。
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今まで、街で赤ちゃんを見かけても、知らないお母さんに話しかける勇気はなく、かわいいなと思っても不審に思われないようにチラ見することしかできませんでした。友達の赤ちゃんを抱かせてもらっても落としそうで怖くてすぐに返していたけれど、自分の子が生まれて、いくらでも見て触れるようになりました。
触れるようになった…というか、むしろ、私がオムツ替えて、おっぱいあげて、抱っこしないと、他にやってくれる人はいません。
いや、パパも保育士さんもおばあちゃんもいるけれど、なんだかんだママだよねってなるし、自分でも私はこの子のママだと思っています。
それで、毎日しげしげと観察していると、やっぱり、赤ちゃんはかわいい。自分の子もはもちろんかわいいし、よその子も、子どもが生まれる前より一層かわいく見えます。
0歳児はとんでもないスピードで成長していて、あらゆるかわいさを繰り出してくるので、まだまだ消化しきれてはいないのですが、言葉でかわいさを切り取れるようになったところもあるので、今日は何がどうかわいいのかを少し書き連ねてみようと思います。
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ミニチュア感というのはまず赤ちゃんのもっともベーシックなかわいさです。人間は本能的に小さいものにかわいらしさを感じるそうですが、ちっちゃな手のちっちゃな指に、一本ずつちゃんと小さな爪がついていて、手のひらにはシワもあって、大人と同じものが揃っているのを見ると、よくできてるなぁと見とれてしまいます。
それに合わせて、使っているものも小さくて、靴下なんか手のひらより小さいし、枕もクッションほどもありません。
目や手の届く距離で見ている赤ちゃんから少し離れて見ると、またその小ささが強調されます。抱っこしているパパの身体をクライマーのようによじ登ろうとしていたり、自分の身体ほどもあるぬいぐるみに抱きついていたり、大人のサイズ感やスケール感とは違う縮尺で動いているのです。
小さな身体で、お腹の外の世界で生きようとがんばっているのを見ると、守ってあげなくちゃ、大事にしなくちゃという気持ちが湧いてきます。
赤ちゃんは小さな人間ではあるけれど、大人とは違った生き物でもあります。黒目がちの澄んだ目や、ギュッと抱きしめるとふんわり香ってくる優しいにおい、指の付け根がえくぼのように凹んだ、ぷにぷにのおててなど、今しか見られない、期間限定のかわいさも兼ね備えています。
ミルクをたっぷり飲んで、たぽたぽになったお腹は3段腹、下手をすると4段腹ぐらいなのに、それでも魅力的。ぽっこりお腹に加えて、頭が大きく三頭身ぐらいしかないので、ぬいぐるみが動いているようです。
小さな身体のほか、しぐさにもかわいさが詰まっています。哺乳瓶を抱えてちゅぱちゅぱしている様子は鉄板ですが、ミルクを飲んでいるうちに眠くなってきて、目をつぶりながらもまだちゅぱちゅぱしている様子も愛嬌があります。寝ている時に急にちゅぱちゅぱし始める、エアおっぱいや、両手をあげて熟睡しているときのバンザイ寝など、大人にはない、意外な動きはたまりません。
何がなんだか分かっていない様子もほほえましいものです。寝返りがうまくできずに何度も何度も転がろうとする赤ちゃん。力の加減が分からなくて、もらったおもちゃをガンガン叩きつける赤ちゃん。ママやパパの顔をペタペタさわったり、髪を引っ張ったりして、愛情表現という名の攻撃を仕掛けてくる赤ちゃん。見るもの触れるものすべてが初めてなんだと改めて感じさせられます。
反射と生理的欲求でほぼ生きている赤ちゃんはとてもシンプルで、純粋無垢です。抱っこをしてほしい時に抱っこをしてもらえると顔中に笑顔が広がり、注目してほしい時に目が合えばそれだけで喜んでくれます。目が合うだけでうれしいなんて、恋人だって、そうそうないこと。言葉はないけれど、全身で喜びを表現してくれて、うれしいと足がピコピコ跳ねたりもします。
愛着という意味でのかわいさもあります。泣くことしかできなかった子が笑うようになり、おっぱいの飲み方が分からなかった子が、抱っこのされ方でこれからおっぱいだと分かるようになって、カプッとかぶりついてくるようになったり、抱っこすると自分の腕をつかんでしがみつくような動作をするようになったり。間近で成長を見てきたから感じられるかわいさです。
さらに極まってくると、これから大きくなったらどんな子になるんだろうと想像するだけで、ぐふふと笑いが出てきたりもします。立ったら、歩いたら、話しはじめたら…
もう存在が圧倒的で、そのかわいさは筆舌に尽くしがたいと思っていたけれど、書き始めたらとまりません。
うん。今日はただの親バカですね。