坂本竜馬を通じて「事を成す人間の条件」を学ぶ
『竜馬がゆく』は司馬遼太郎さんの作品ですが、
最後の「この小説を構想するにあたって、事を成す人間の条件というものを考えたかった。それを坂本竜馬という、田舎うまれの、地位も学問もなく、ただ一片の志のみをもっていた若者にもとめた」というのを読んで、竜馬を追いかけてみたくなりました。
20歳の時、大好きな人に「『竜馬がゆく』を全部よんだら、京都の竜馬ゆかりの場所を案内してあげる」と言われて読んだのですが、記憶がうすれていたので、もう一度読み返してみました。目的が違うと見え方も全然違うんだなと実感しました。
ここでは、【情報収集】【人柄】【世界観】【人生観】【交友】に分け、それぞれに - 竜馬語録 - を添えて書いていきたいと思います。
【情報収集】竜馬はとにかく人に会って話す、自分の目で見て確かめるということをしています。勝海舟に船に乗せてもらった時も船の各部門をまわっては「お前さん、何しちょられます」と、しつこく訊ね「ちょっとそれを貸してたもらんかの」と言って、操舵室で船をあやつったりしたそうです。当時、竜馬は脱藩して浪人となり幕吏からは蔑まれていましたから幕府士官からは白眼で見られていましたが、実際に船を運用している水夫・火夫たちは竜馬に妙に親切だったようです。臆せず、恥じず、直接ひとに聞くというのは、いまでも一番の近道だと思います。
-竜馬語録-
「人に会ふとき、もし臆するならば、その相手が夫人とふざけるさまは如何ならんと思へ。たいていの相手は論ずるに足らぬやうに見ゆるものなり」
「恥といふことを打ち捨てて世のことは成る可し」
【人柄】「これほどあかるく、これほど陽気で、これほどひとに好かれた人物もすくない」と、書かれています。生家が金銭的に豊かで、武士の家らしからぬ朗らかな家族の中で育っているからでしょう。姉の乙女に育てられたせいか、女性にはめっぽう弱い。また、北辰一刀流免許皆伝でありながら、いつごろからか剣術については「勝つも愚劣、負けるも愚劣」と勝負を避けるようになります。勝も愚劣というのは、「勝っても恨みをかうだけでつまらん」と言っています。
-竜馬語録-
「人間、不人気ではなにも出来ませんな。いかに正義を行おうと、ことごとく悪意にとられ、ついにはみずから事を捨てざるおえなくなります」
また、竜馬は気がやさしすぎたので、「義理などは夢にも思ふことなかれ。身をしばらるるものなり」など、自分を叱咤鼓舞する言葉を書き残しています。
【世界観】勝海舟に出会ったことで竜馬の人生は大きく変わります。当時は、敵は斬る!という武士が多い中、竜馬は誰も斬ろうとはしませんでした。千葉重太郎が勝を斬ると言った時も竜馬は「真昼間、堂々と勝の屋敷に案内を乞い、けしからんのなら、その場で一刀両断しよう。」と言って勝の屋敷に行き、いよいよ重太郎が勝を斬ろうとしたときには突如土下座して、「勝先生、わしを弟子にして仕ァされ」と言って重太郎の刃から勝を守ったということです。竜馬は勝海舟から、外国では大統領が市民のために働くと聞き、日本人という概念を学びます。この時代は、自分の藩のことしか考えることができない者ばかりで、他国の動向を視野に入れて日本を守ろうとする " 日本人" は皆無だったのです。
-竜馬語録-
「人間に本来、上下はない。浮世の位階というのは、太平の世の飾りものである。天下が乱れてくれば、ぺこぺこに剥げるものだ。事をなさんとすれば、智と勇と仁を蓄えねばならぬ」これは岡田以蔵に向けた言葉。
【人生観】自分は何かを成すと思いつつも、今はその時ではないと、長い間 " 期 " を待っていました。期を待たず先走る武市半平太らを悲しげに見つつ、自分の出番はまだ来ていないと、その間、剣術を磨いていました。期が来たとみると、全力を尽くしています。また、常に死に対する恐怖を戒めています。
-竜馬語録-
「世に生を得るは事を成すにあり」
「牛裂に逢ふて死するも磔に会ふも、又は席上にて楽しく死するも、その死するにおいては異なることなし。されば英大なることを思ふべし」
「われ死する時は命を天に返し、高き官へ上ると思ひ定めて死を畏るるなかれ」
「人の一生というのは、たかが 50 年そこそこである。いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ。生死は自然現象だからこれを計算に入れてはいけない」
【交友】竜馬には人に対する好き嫌いがあまりなく、相手も安心して竜馬のそばにいられたようです。恩を着せず、身分で人を見ず、人の身を案じ、私欲はありませんが誇りを持った人でした。江戸時代、竜馬の身分では、何をするにも八方塞がりだったでしょうが、身分の低い人から高い人まで「竜馬のためなら命を懸ける」という人が大勢いて、多くの人の助けを借りて大事を成し遂げることができたということです。
-竜馬語録-
「君子の交わりは淡きこと水のごとし」竜馬のことばではなく、礼記のことばで、男同士の交友についてのことばですが、竜馬は男女間でもこれでゆきたかったのです。「恋愛は、心ののめりこみである。愛情の泥沼にのめりこんで精神と行動の自由をうしないたくない」と思ったのです。
最後に西郷との出会いの場面にも 事を成す のに大事なことがあります。
西郷隆盛が竜馬に初めてあった時の事です。西郷は無口。竜馬は不愛想。なかなか対話が進まない中、さきに西郷が「おいも無口じゃと人に叱られもすが、坂本サンも劣らんでごわすなあ」と言うと、竜馬もニコニコし、その笑顔が、ひどく愛嬌があって、それを見て ( みごとな男じゃ ) と思ったそうです。西郷は「漢 ( おとこ )は愛嬌こそ大事」鈴虫が草の露を慕うように万人がその愛嬌に慕い寄り、いつのまにか人を動かし世を動かし、大事をなすにいたる。と言っています。
また、この時 ( 最初の対面の時 ) 竜馬が捕まえた鈴虫を「預かりもんじゃ」と言って、次に竜馬が来た時のために大切に世話をするよういいつけ、実際に次の訪問で竜馬がその元気な姿を見たとき ( 西郷という男は、信じてもよい ) と竜馬に思わせたということです。- 心づくし - 茶道のことばですが、茶の素養のないはずの西郷が、茶のこころをもっていたんですね。これも西郷があれほど人を惹きつけた理由のひとつでしょう。
この鈴虫については、実際は、最初の鈴虫は 3 日ほどで死んだので、慌てて新しい鈴虫を捕まえさせ、その二代目も死んで、竜馬が見たのは三代目だったそうです。
まとめ
竜馬は土佐の郷士という身分が足かせになりながら、持ち前の底抜けに明るく、飾らない性格で周りの人を魅了していきます。自分は大事を成す男だと、ずっとその期に備えながら、焦らず、剣術修業をして待ち続けます。竜馬の節目節目には出会いがあり、勝海舟に出会ったことで、竜馬の進むべき方向が決まっていきます。常に多方面からものを見、準備を万端に整えてから、一気にやる。決して焦って、見切り発車はしない。負ける戦はやらない。自分を大きく見せない。私欲がない。
このような竜馬は勝海舟との出会いで見識を深め、さまざまな出会いで多くの人の協力を得て大事を成すことができました。ひとりでは不可能だけど、仲間がいれば出来る。
アニメワンピースのルフィが現実にいたようです。
司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』
ぜひ、まだの人は読んでみてください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
追伸 : 私事で恐縮ですが、『竜馬がゆく』を読み終えた後は、無事京都へデートに連れて行ってもらいました。どこをどう歩いたのかは忘れてしまいましたが、後でその時撮った写真をアルバムにまとめてプレゼントしてくれていたので、今でも懐かしく思い出したりします。寺田屋をはじめ、近江屋跡、竜馬のお墓など、他にも細かいゆかりの地を調べて案内してくれたようです。今では遠い昔の大切な記憶です。