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読書:高山右近 読み比べ

高山右近伝、3冊読んでみました。

高山右近 加賀乙彦

Kindleで読めました。読み進めているうちにこれ小説??
と気づきました・・・もちろん、ちゃんと実話に基づいて書かれています。
でも小説とは知らなかったので・・学問的なのを読みたかったのと、神父の手紙がそれっぽいので本物かと思いました笑

高山右近史話 チースリク

ドイツ人の神父、チースリクが書いた本
まず最初にあけたら、右近殿の直筆の手紙の写真があります。
もはやそれだけで感動なんですが。
日本語の書状は結構みたことあるけど(読めない)日本文字は力強い感じだけど(右筆の字?)

ローマ字!!!結構可愛い字!
Tacayama のTの書き方とかおしゃれ。本能寺の変後のエピソードから推察すると、右近はポルトガル語が話せたみたいですが、こんな綺麗に文字もいっぱい練習したんだろうか?そしてこれ筆じゃなくてペンでかいてるのかな。

本の内容は、当然右近の生涯について詳しくかいてありますが
細川忠興、蒲生氏郷に牛肉を振る舞った有名な話なんかものっています。
あと「前田御家雑録」の、みかんの話。
右近の長男がイケメンすぎて加賀の当時の歌になっている話。
そして追放先マニラでの最後の様子など。
奥さんジュスタと、娘(ルチヤ)と孫一人が、右近が亡くなった翌年、日本に戻ってきたことも書かれています。さらに

「1621年には孫は全員無事で堺に落ち着き、六左衛門という名義で家をもっている」と。ということは、その後マニラに残っていた孫4人は全員帰ってきたんですかね?確か、孫はマニラ総督の養子になったとクアトロラガッツィに書いてありましたが。そして弾圧はまだまだきつくなりますが、みんな無事だったんだろうか。

最後は、右近のことがヨーロッパ各国で演劇になった話。最終的に、というか日本に関する知識が薄れてくると演劇の内容は忠実から離れまくって、ウコンドノという名前だけがのこり、海賊として出てくるらしく、もはや何がなんだか。

ところで途中でフォルラネッティ神父に関することも少しあります。
右近追放後、高槻にいたフォルラネッティは平戸へいくのですが、平戸で4人の神父が次々とおそらく毒殺された話、日本史にあったかな?あったようななかったような。物騒な話・・。

高山右近 海老沢有道 

さすがにチースリクや日本史を読んだあとだと、目新しいエピソードはなくなってきますが、チースリクがおすすめしてるだけあって、すごく良い本でおすすめです。ラウレスの右近の本もおすすめだそうです。

チースリクの本には右近の結婚や、家族のことも結構書かれていて、たしかこの本にも書いてあったきがします。手元にないのでうろおぼえですが。
子供が生まれてもすぐ亡くなるのは当時ではよくあることでしょうが、やっぱり3、4人も亡くなるなんて想像を絶します。
右近の子供については、よくわからないことも多くてなんとも。宣教師側の記録には今のところないけれど、ネットでみたら、大友義統に預けられた子供がいたらしいのですが、そうだとしたら、なんで義統に??いつか新たな資料が発見されると良いのですが。

ところで日本俗史類(日本側の資料ってことでしょうか?)の「リイス伴天連」とは、フロイスのことだと考えられているようです。
ルイス→リイス 
当時、本名(諱)で呼ぶことはないので、外国人にたいしてはどう呼んでたのかと気になっていたのですが普通にファーストネームで呼んでたんですね

ちなみに他わかっている呼び方は、
オルガンティーノ→ 
うるがんさま、ウルガン伴天連
ジョアンロドリゲス(ツズ・ロドリゲス)→ 
通詞伴天連 

それから右近の遺書についても書いてあったと思うのですが、自分の死後3年だかは日本に帰るな、とあったそうです。家族は1年後に帰っていますね。マニラでそれなりに良い暮らしができたと思いますが、慣れない海外暮らしはきつかったのでしょうか。娘ルチヤは、父・右近とともに追放されることを望んで夫・横山康玄と離婚しますが、別れ際、右近は康玄に、生きているならば必ずあわせると約束したそうなので、残してきた小さい子供に少しでも早く会いたかったんでしょうか。

他、右近の本といえば、やはり、フロイスの日本史。右近の言葉や、やりとりが詳しく書いてあるので何度読んでも感動です。
また右近関連の本を読んだらアップしていきたいと思います。



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