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【読書】天正遣欧少年使節 松田毅一 前編

https://www.amazon.co.jp/天正遣欧使節-講談社学術文庫-松田-毅一/dp/4061593625

戦国時代に4人の少年たちが行った初めての海外。どうだったか、ご飯美味しかったか、とか知りたい。そんな気持ちで読んでみました。残念ながら当人たちの感想文は残っていませんが、同行した伴天連たちの記録から色々読み取ることができます。

少年使節の詳しい経緯などは省きます。エピソードをかいつまんでみます

長崎出航 親の反対

当時、ゴア-日本間の航海で、4隻中2隻つけば良いという時代。日本からヨーロッパへ行った人はいても行って帰ってきた人はいない。

親たちは、最初は不可能だと思われたので了承していたものの出航間近になって準備し始めると当然ながら大反対。ミゲルの母は病んでしまったほどだったとか。

しかし最終的にはヴァリニャーノを父として運命をたくします。「必ず連れて戻す」と約束し、一行は長崎を出港。

ちなみに、八年半かけて帰ってきた時は、人々は「こんなことなら自分の子供を行かせればよかった!」と言っていたそうな・・・

マカオで足止め

マカオについてから風待ちでなんと10ヶ月も滞在。その間は、語学や音楽を勉強していたそうですが自分ならこの時点でもう帰りたくなりそう。
ちなみに帰路のマカオでもだいぶ足止めされます。後の生涯をみると、一行にとってマカオは第二の故郷と言えますね

親代わりの伴天連たち

インドに到着してから、ヴァリニャーノはイエズス会総長アクアヴィーヴァから違う仕事を命令され一緒にヨーロッパへ行けなくなります。。ヴァリニャーノが行くというから付いてきたのに・・。みんな相当ショックをうけますが、少年たちを励ましヴァリニャーノはラテン語の先生として同行していたメスキータに引率を任せます。

「万が一メスキータが亡くなるようなことがあれば少年たちを慰め、大いに信用ある、温和で慎重な司祭一人を彼らに提供するように」

「彼ら(少年たち)には、高いところにある部屋とかベランダをあてがわぬように。降りる時に怪我をする危険があるから」

人様の子供を預かってたら心配ですよね。ヴァリニャーノもメスキータも生涯父親のように少年たちを援助してくれました。

船の暮らし 

船の生活は、海賊や嵐に襲われ、海に転落する人もいれば、疫病でなくなる人も。最初マンショ以外は船酔いでぐったりしていたそうでヴァリニャーノは吐きまくる少年たちを看病したとか。

食事事情

船の上の食事は乾パンと葡萄酒と少量の飲料水、ラッキーな人は塩漬けの魚くらい。少年たちは特別に、米を配給されていたと察せられる記録があるそう。ただ水は腐敗して、鼻をつまんで飲んでいた・・・。アフリカあたりからは釣りざんまいに。

ポルトガルに着くと、ようやく新鮮な野菜と果物が届けられたそうで、
「日本の公子らは大いに喜んだ」

貧しい日本のご飯からしたら、外国のご飯は美味しかったのでは?ご馳走ざんまいだしと思いますが、当時の日本は魚は食べても肉食はしないし、1日2食の粗食、ヨーロッパのご飯は4人の口には合わなかった模様で、喜んだ記録はとくに残ってないそうです・・。

つづく


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