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わたしのこと 9

こんにちは。望月さゆりです。

今までとこれからを見つめるために
私をもっと深く知ってもらうために

ライフストーリーを綴っています。

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9 インドネシア

赴任してしばらく経つと、学校と家の往復だけという生活に我慢できなくなった(笑)
安全のために外を出歩かないようにと釘を刺されていたけれど、キラキラしたモールだけじゃなくて、もっと人の暮らしぶりや温度みたいなものを味わいたかったのだ。

当時はまだSNSがメジャーではなかったので、地元の新聞でおもしろそうな出会いを探しては体当たりで連絡していった。

写真家の方と下町を歩いて写真を撮っていた頃。みんなにこにこで可愛かったなぁ。

そこで出会ったのはジャカルタ在住の写真家さん。その方は駐在の傍ら、週末に下町やパサール(市場)を歩いて写真を撮っておられた。そこに暮らし働く人たちと言葉を交わし、撮影した写真を現像して、後日お渡しすることを長年に渡り続けておられるのだった。

私も同行して歩いていると、方々から親しげにその方の名前が呼ばれ、子どもたちが嬉しそうに駆け寄ってくる。自分のために撮るのではない。おたがいが築いた信頼のなかで、心をひらいた自然な表情の写真と、その在り方が大好きだった。

パサールで撮影させてもらったもの。インドネシア語がカタコトの私にもやさしくて、とびっきりの笑顔をむけてくれた。ありがとう。


また、社会人バンド「ジャカルタ軽音部」にも参加した。毎週末は大人数でバンド練習に明け暮れ、呑んだくれ(笑)、インドネシアの曲と日本の曲を融合させた曲を作ったり、大学祭や日本の祭りで若者たちやエイサー隊とライブをしたりして盛り上がった。在住日本人の方々に出会えるのも新鮮だったし、インドネシアの人々にこんなにも日本の音楽やポップカルチャーが人気なことも驚きだった。青春カムバックでとにかく楽しかった。

ジャカルタ軽音部の初期、インドネシア大学の学園祭にて。エイサー隊とよくコラボして盛り上がった!


地元の人たちの熱気を体感して国とか言葉とか背景とかもろもろを超えたつながりに感動したし、私にはどうすることもできないやるせなさを抱えたこともある。
そういうチャンプルーが日々てんこもりで、私の中にあった思いこみや価値観みたいなものが、がっしゃんがっしゃんと入れ替わった。


長い休みには、インドネシアの秘境の旅に出かけた。なんせ17000もあるのだ。3日間ジャングルの川を渡ってオランウータンに会いに行ったり、耳長族の村を訪ねたり、カリマンタンの風葬の村を訪ねたり。パプアに行ってコテカをつける予定が学校側からストップがかかって悔しかった〜バリ島にも何度か訪れ、独特な魅力の虜になった。

水上で暮らす人たちもたくさんいるんだね


そうしてプライベートで自由にやっていたせいか、職場で「前例がない、足並みを揃えた方がいい」などの注意を受けたこともある。でも、限られた時間で、私はほんとうに好きなこと・やりたいことを選び続けたかった。いくら公務員とはいえ、休日まで学校のことだけに縛られるよりも、もっと知らないことに出逢いたかったから。

好奇心の赴くまま、人の目や意見を気にしなくなると、私の世界はどんどん広がっていった。

そのぶん教員の仕事にも誠実に打ち込んだ。任される仕事が増え、次第に同僚へ音楽や写真の輪が広がっていったこともうれしかった。

先生の私も、先生じゃない私も、全力だった。
ようやく自分を信頼する気持ちが芽生えていた。

川をボートで3日間かけて森の人オランウータンに会いに


3年の任期を終え、まだまだ名残惜しく、もっとインドネシアに居たい気持ちを抱えながら帰国した。

こんなに充実した日々は、生きてきて、はじめてだった。


ライフストーリー10 へと続きます。


望月さゆりです。

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