貴方からの退職金

単調なメロディの着信音が携帯から鳴る。
メロディは単調かもしれないがこの電話ひとつで私の人生は変わるかもしれない。

君からの電話だった。

すぐに出るのは何だか恥ずかしくて3コール目で出る。

「今日の夜空いてる?」
「まぁ空いてるけど」

空いてなくても関係ない。君からの誘いならなんでも乗ると心の中では思うが表面上は強がりな返事。今日は君と会えるのだ、嬉しいに決まってるだろう。
電話の要件はただそれだけ、恋人でもない私たちは世間話をすることもなく電話が切れる。電話の切れる音は嫌いだ。

今の時刻は14時過ぎ。そろそろ間食がしたくなる時間だけど私は颯爽とシャワーに入る。

君以外に会う人なんていないから、伸びかけの無駄毛を剃る。もし付き合えたら医療脱毛に変えようと悩んでもう季節が何回変わっただろうか、何も変わっていない現状に嫌気が刺す。
もし付き合えたらこうしようと1人でたくさん建てた計画も25歳までに何個叶うかわかったこっちゃない。全部は君次第なんだ。私はずっと待っている。

季節の変わり目は体が冷えやすい。シャワーの後なんてもっと危ない。先週会える時のために買った赤色の下着を身につけてクローゼットに向かった。

前会ったときはまだ元気に蝉が鳴いていた頃だったのに今はもう鈴虫の鳴き声がよく聴こえる季節になっていた。
どんな服を着ようと心が踊る、新しい服を着よう。そうやって取り出したワインレッドの花柄のワンピース。2時間ぐらい悩んで決めた。君の隣にいてもいいような格好でいたいから。

服もメイクも髪型も君のために考えてるって伝えたら笑うだろうか、それともいつもの冷淡な返事か。どちらでも良い、会えればいいのだから。
今日のメイクはワンピースに合わせたワインレッドのアイシャドウ、コーラルなハイライトをまぶたの上にのせて進めていく。
バイトとか学校の時より一層気が入ったメイクが完成した。髪型もバッチリだけど肝心な約束の時間は18時。だいぶ時間がある。

家にいても退屈で仕方がないので支度をして駅の辺りで買い物でもすることにしよう。ベランダに干してある1人分の洗濯物をしまった私は家を出た。

約束の場所は隣町の特急列車が止まる駅。ここから30分ほどかかるので普通列車に乗る。
2年前までは一緒に家を出てこの電車に乗っていたのに今は1人で乗っている。
混んでる時は一緒に手を繋いでくれていた、空いた席を指刺して「座りなよ」なんて言葉を掛けてくれる。些細な気遣いが私を安心させてくれる。

今は毎日不安ばかり。君に新しい彼女がいたらどうしよう、バイト先の新人が可愛かったらどうしよう。彼女でもない私はもう気遣いなんてされない。飲み会で潰れても迎えに来てくれる君もいない。
懐かしい思い出に浸っていたらあっという間に目的地の駅だった。

駅に着くとたくさんの人たちが色々な理由で駅にいる。仕事帰りの人、友達とこれから遊ぶ人、恋人とデートするために待ち合わせする人だったり。
君と付き合ってから私はたくさん君に時間を使った。友達との用事があっても君を優先した。今思えば最低な奴だけどそこまでしてでも君と一緒にいたかった自分がいた。
そうする内に会える友達、相談が出来る友達も減っていた。
だから今の私には待ち合わせする友達も最愛の恋人もいない。
友達にもっと時間を使えばよかったととても後悔している。でも、君との時間が無駄とは言えなかったから、今の私にはこの結末がお似合いかもしれない。

駅に着いてから近くのショッピングモールに行ったけど君と会ったら何を話そうとか君の事ばかり考えてしまうから集中が出来ないので諦めて駅の中にあるカフェでカフェオレを頼んで窓側の席に着いた。

街を歩く人たちを見ながら君にラインを送る。
「南口のカフェで待ってる」
すぐに既読はつくけれど返事はない。今では既読がついていれば良いとかなり妥協した思考に変わっていた。

遠くから見ていても分かるぐらい綺麗なカップルがいた。女性は綺麗なミルクティーの髪色でマスクをしていても分かるぐらい美人だった。
私もあんな女性になりたいと妄想しながらお相手の男性を見た。

時が止まった感覚に襲われた。

隣で笑っていたのは間違いなく君だった。

前回会っていた時とは髪色が変わっていたけど私が間違えるはずが無い。きちんとセットされた髪型、真新しい服と靴は誰のために用意したのか。
この現場を見なければ自分のために用意したと感じれたのに。いやまだ分からない。
隣の女性はもしかしたら友達かもしれない、大学の後輩かも、バイト先の人かも。たくさん選択肢を自分に与えた。
自然と震える肩、それと同時に涙が出てくる。これから会うというのに最高のコンディションで会えないではないか。必死に止めようとするも時間は止まらない。
私が目を逸らさない限り2人は動き続けている。手を繋いで車道側を歩く君。女性の歩幅に合わせて歩く君。昔の私が与えられていた優しさはもう他の誰かのものだったんだ。

約束の時間まではあと15分。カフェを出ようとしていたのは15分前だと決めていたのに今出てしまうと鉢合わせになってしまうし、私は目の前の光景に悔しいことに悪い意味で釘付けになっていた。
どうして私は今、君の隣にずっと居れないのだろうか。どうして私たちの関係は全部君次第な関係になってしまったのだろう。

君から会おうと言われなければ私たちが会うこともない、私も誘ってみようかと何度か悩んだけど断られるのが怖くて結局一度も言えなかった。
もう恋人で無くなって2年が経つし、世間的にいうこの「都合の良い関係」が始まって同時に2年経つ。
だけどその関係もついに幕が閉じそうだ。目の前の光景がこれからの未来を否定しているかのように見せる。

約束まで5分前、女性は元気に手を振って駅の中へと消えていった。それを見つめて手を振る君。私には見せない笑顔で送る。
ハッとした。次に君に会うのは私だ。急いで支度をする。余裕を持って何時間も前から駅に居たのに遅れてしまっては元も子もない。

急いでカフェを出て君のとこへ向かう。今日は何故か笑顔で私を迎えてくれた。
「今日は俺が奢るよ。ご飯食べよう。」と言ってレストランに入る。確かここは開店したての時に一緒に来た場所だ。

席に座ってそれぞれ食べたいものを注文してメニューが店員によって取り下げられる。
ひと段落してスマホを触ろうかとしたときに君が口を開く。

「俺、彼女できたんだよな」

もちろんその光景を見ていたなんか言えないから、そうなんだと笑って流すしか無かった。でもきっとその時の私はうまく笑えていないだろう、引き攣って今にも泣き出しそうな顔をしてないか不安だった。

私の動揺を考えず君はさらに言葉を続ける。
「だからもう会えないんだ、彼女が異性と絡まないでほしいって言うからさ」なんて軽い惚気みたいな説明をされた。私ならそんな制限付きの恋愛しないのに。
私の方が君のこと倍以上想ってるのに。とか考えたけど

私が想うぐらいあの女性も君を想っているんだろうと。

「そっか、なら仕方ないね。だから今日は奢ってくれるん?」
「違うといったら嘘になるけどさぁ、まあ良いじゃん?最後ぐらいかっこいいとこ見せてくれたって。」
「そんな所もあんたっぽいから許す。」

って何をしてもかっこいいし可愛い君は笑う。私たちが笑い合うのはどれぐらい久しぶりだっただろう。昔の私たち。まだ開店したばっかりのこの店に来た私たちを見ているようだった。
今日で友達以上恋人未満の関係はおしまい。このご飯代と君の笑顔は私にとっての退職金と捉えようと思おう。
君の笑顔なんて退職金にしては高すぎるぐらいだ。
とにかく笑って過ごした。

ご飯を食べ終わって店を出たときには時計は20時前になっていた。
いつもの私たちならこれからカラオケにいった後ちょっと歩いたところにあるホテルで体を重ねる。
体が繋がっている時だけ君のこと全て分かった気になれた。この時間だけ、君は私のために生きているんだと独占できていることに何度高揚したことだろう。
恋人では無いけど、この場だけは何を伝えても許される。普段は言えない「好きだよ」という言葉を君の肩に顔を埋めながら言ってみる。最初は「俺もだよ」って言ってくれたのに気づけば返事すら無くなって君は快楽だけに身を任せていた。

「ねぇ、今日はどうする?」と聴かなくても君の答えは顔に出ていた。
「21時に彼女のバイト終わるから迎えに行く約束してんだよな!」やけに明るい君は気味悪いけど幸せなら良いだろう。
私の幸せより君の幸せが何よりの幸福だ。幸せの理由が私で無くとももう良いんだ。
あの女性が君を幸せにしてくれるだろう。

「実は私も良い人に出会ったんだよね!これから家行くんだ。」なんて咄嗟に嘘をついてしまった。
最後ぐらい強がっても許される。逆に最後だから我儘言っても良かったのか。私は前者を選んだ、元恋人なんだからしっかり君の背中を押してあげないと。

「じゃあ、今日はここで解散でいいな。あ、もうこれで会うのが最後か。」
「彼女さん幸せに出来なかったら呪うからね。」
「お前に言われなくても分かってるよ。これから会うその人と幸せになー、お疲れ様」

君は二度と振り向かなかった。どんどん小さくなる背中を本当はいくあてもない私はポツンと見つめる。
もう、これで君との物語はおしまい。君のために買った新しい真っ赤な下着も見せれなかった。いいんだ。見せれないまま終わろう。

ふらふらと私は街を歩いて君とよく通ったラーメン屋に入った。頼んだのは大盛りの豚骨ラーメン。
幸せそうに歩く君たちを見たらご飯なんてちゃんと食べれるわけなかったから食べ直しに来たのだ。
奢ってくれたけど残念ながら夜ご飯代は浮かなかったし、なんなら調子に乗って大盛りなんて頼んでしまった。

私の元に来たラーメンは自分の顔より遥かに大きいどんぶりで、でもいつもより特別美味しそうだった。
思いっきり麺を口にかきこんで食べ続けた。美味しい!なんて感動し合う君もいないから無心で食べ続けた。
いつもは飲まないスープも飲んでやろうと思って全部飲んだ。
いつもいる大将が「今日はすごい食べっぷりだね。」と驚いていた。食べてる私も驚いている。

空になったどんぶりを見てスッキリした。過去を清算した気分になれたから。
スープを飲むとよく喉が乾くから近くのコンビニでお茶を買う。
今までは君に影響されて烏龍茶を買っていたけど今日は思い切って麦茶を買ってみた。
こうやって私は君離れしていくのだろうか。初めて飲む麦茶は慣れなかったけど、成長の味ということにしておこう。

今まではギリギリだった終電の時間にも余裕で間に合いそうだった。ああ、もう終わりなんだなぁ。あっという間だった2年間。

新しい環境で過ごす君、私は応援している。
君が見ていなくても大人にならないといけない、絶対君より幸せになってやる。
他人の幸せを望んでいた私だったが初めて自分が幸せになりたいと感じた。

ようやく人生の指標ができた私。誰にも影響されない私を作り上げるんだ。
こうして君のいる街で私は1人の私として生き続ける。



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