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韓国と日本のドラマ・映画を分析

韓国と日本のコンテンツの違いに持論を展開してみたいと思った。
今回はドラマや映画などをまとめて分析してみる。

1 複合的な要素の掛け合わせ

韓国のコンテンツはストーリー中に出てくる要素があまりにも多くて、1つ1つの詰めが抜かりなくて隙もない。登場人物1人とっても、しっかりバックストーリーがあってあまりにも細かい描写がある。

①ファンタジー要素
・記憶をなくす
・テレパシー能力を持つ
・未来、過去が見える

②非現実的要素
・生き別れた幼馴染との再会
・生まれ変わり
・伝説や童話に出てくる神童的存在

③現実的要素
・職業設定(例えばアイドルとマネージャー、音楽家と写真家など)
・お金持ちと貧乏
・職場恋愛

あまりにも要素が多くて設定を忘れてしまうほどの時もあるが、詰まっているので問題も起こしやすいしストーリーに起伏が生まれて面白い。し、①ファンタジー要素と②非現実的要素は割と必須項目になっていることが多いので、非現実的でそれはそれで面白い。人々がエンタメに求める要素をしっかりキャッチアップしてくれている印象。

その一方で日本のコンテンツは、かなり現実的なセットアップとシチュエーションで、イシューが明確。私は「現実から逃げる、離れるために」エンタメをみるタイプなので、この現実的要素の集積は時に厳しく感じて、完走できない。

特に最近思った作品は『今夜、世界からこの恋が消えても』という映画。
(韓国で公開されると聞いて気になったのでみてきた)
主人公が過去の事故がきっかけで寝ると記憶を失くしてしまうという設定だが、これにしっかり「病名」があったこと。「前向性健忘」という病名が出てきてすごく驚いたというか、より重かった。
韓国のコンテンツなら、過去に事故に遭った描写を描いて、病名はそこまで鮮明に出さずあえて排除して、ファンタジー‘ドラマ'として描き切って世界観を崩さないだろうなと思った。


2 「余白」と「グラデーション」

1 複合的な要素にも通づる部分だが、日本のコンテンツは比較的要素が少ないと思う。
だからその分「余白」が大きくあると思う。あえて細かく描きすぎないことによって、鑑賞者に考えさせて集中させて、鑑賞者の想像力に委ねているところがある。シンプルにそのシーンを描くことを辞めたのか、あえて描かないことで想像させようとしているのかは作り手に質問しなきゃわからないけど。

一方で韓国は「余白」というよりも「グラデーション」があってすごくなめらか。アクションシーンで100を描けばその数分後には10くらいの感動のシーンで落ち着く。テンションマップを書けばすごい起伏だらけだけど、「余白」はあまりなくて詳細まで描いてくれるからしっかりついていける。〈あれ、今のシーンからどうしてこうなった?〉みたいに辻褄が合わないこともない。グラデーションが綺麗なおかげで、鑑賞者に寄り添ってくれて、取り残されるようなことも少ない。

どちらも兼ねそろえたドラマ、映画はもちろん存在するけど特に要素を抽出して分析するなら、日本は「余白」で、韓国は「グラデーション」。


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このnoteの目的は、どちらかを下げて、どちらかを上げようとすることではなく、それぞれの良さを再認識することです。

現実逃避をさせてくれてファンタジーに誘ってくれる韓国コンテンツ
現実的で残酷ではあるけど鑑賞者にイシューと考えさせてくれる日本コンテンツ

どちらも良い部分だしお互いに影響されているのだろうと感じるところはある。

それから『人々はドラマや映画に何を求めるのか?』と聞きまわりたくなった。

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