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① 自己紹介



これまで私をご存知の方、そして初めての方にもわかるように、改めてはじめまして。

ヨガ講師のSayumiです。
私は川崎市、麻生区にて自主開催連絡を
6年活動しております。

今は新人イントラさんからご相談を頂くことが増えて、サポートに回る立場になりました。

ここに至るまでのこれまでの私自身の活動歴を
わかりやすくお伝えさせていただきます。

転勤族でアメリカから帰国し、
スタジオ勤務3年半の経験をはさみ
新たにオンラインレッスン1年過ぎました。

地域の皆さんとの繋がりを大切に自主開催を
継続中。
オンラインを含めて、レッスンはコロナ禍でも継続しております。
直近2年で、のべ1280名の方々にご参加いただいております。

スタジオ勤務時代には、ありがたいことに辞めるまで1年半ほどは32名定員レッスンが満員か、満員に近いレッスンを担当させていただいていました。

その他の活動としては、
Canonのラガーマン向け英語ヨガクラス開催や、
昨年は某大手ブライダル会社様からご依頼をいただいて、オンラインレッスン50-80名の参加者様で毎週担当させていただきました。

またヨガスキル以外には、
ヨガ雑誌のヨガジャーナルフレンズとして、
またヨガウェアブランド、ヨガマットブランドのアンバサダーとしても活動。
ポジティブ心理学講師の資格を持ち、イントラさんのサポートにも力を入れています。

こんな私ですが改めてヨガインストラクターになるまでのことや過去も含めて、ちょっとまた書いてみようと思っています。

長くなりますが、よかったらお読みください。

まず2021年現在の私↓

#Sayumi
#ヨガインストラクター 
#転勤族の妻

#シカゴでヨガ資格取得
#yogajourney主催

#サッカー少年10歳のママ
#ネガティヴからのポジティブ思考回路の持ち主
#自己肯定感爆上げ人

↑最後の一つは最近友人から言われました。笑


①10、20代は光と闇の時代

#帰国子女  
#母の他界 
#自立

#フランス語学科卒業 
#フランス交換留学 
#猛勉強 
#遊ばない大学生 

#大手企業媒体モデル 
#ウェディングショーモデル 
#着物モデル 

#ネガティヴループから学ぶ 
#ネガティヴからポジティブへ 



________


①10.20代の光と闇

このお話からスタートします。

東京生まれ。
小中学校、親の仕事でインドネシア🇮🇩に2回転勤。

日本人が多く住む、都会の街ではなく、田舎の街に住みました。
土木技師エンジニアとして着任した父の仕事は河川改修。
洪水をして氾濫する川に堤防を作る仕事でした。

停電、断水当たり前の日常。エアコンが壊れたり、蛇や見たことない虫、
今考えても、日本の同世代にはなかなかない生活をしてきたかと思います。
楽しみだったのが家族旅行、バリ島や
ジョクジャカルタなどに行けたこと。

小3終わりから6年、そして2回目は中学2年から3年でまた違う町で暮らしました。

さて受験した高校は帰国子女枠で某私立大付属。
のほほんと暮らしていた矢先に、高2の夏に母が胃がんで入院。
当時は本人には宣告するかどうかを家族に委ねるのもでした。

そして主婦の母には宣告はしないことを勧められたのです。
高校2年の私にはわからなかったけれど、あの時に母に宣告をしていたら
きっとその後の家族も何か違ったかもしれません

母の場合は見つかった時にはすでにスキルス胃がん末期。入院からわずか4ヶ月で急逝しました。

何度かInstagramにも投稿していますが、
そこからの細かなことは、あまりに辛くて忘れようと脳が遮断したのか、記憶の蓄積があまりないのです。

悲しみと混乱。
毎日なぜ太陽がでてくるのかなんて思いながら学校に通ったり、仏壇の前でよく泣いたりした記憶はあります。

元気で明るくて、ケラケラ笑う母の不在。
急に家族の中にぽっかりと穴が開く感覚。

辛いのに、学校ではニコニコしてしまう自分。
振り返っても、どん底、暗黒期です。苦笑

それまで高校は大学付属ということもあり、
勉強も何ごとも中くらい、可もなく不可もなくでのんびりとしていましたが、
母の他界から私は、一気に自立スイッチ。

人はいつ死んでもおかしくないのだと。
‘お姉ちゃんは頑張ってね。‘と

自分の命の限りを知ってか知らずか
薬で苦しくなっていながら、ぽろっと私に言った
母からの言葉は何度もリフレイン。

それまで、本当何も考えていなかったなぁと思いますが、この言葉がずっと私を支えてくれています。

フランス語学科志望のため、高校から学び始めて
大学はフランス語学科へ。

大学2年生で成績順に交換留学枠があったので、そこを目指して、フランスに行きたくて猛勉強しました。

フランスではホームステイ先の家族は、今も繋がる素敵な家族交流となる縁になり、20年以上も続くものに。


高校までは勉強で上位になりたい!とか、先生に質問するとか、したこともない女子でしたが、

大学でのテスト勉強期は必死!
アルバイトすらシフトを減らし、”大学生ってそんな大変なの?遊んでるイメージなんだけど”なんて

アルバイト先の社員さんに嫌味を言われたことも。
苦笑!

他の大学の子達はテスト期間しか休まないのに、私はテスト前2週間から休んでましたから、言われても
仕方がないですね。


そんな生活をしていましたが、
ゼミの恩師が卒業式の後に

『非常に僅差であなたは学部で2位でした、惜しかったんですよ』と声をかけてくれました。

そこには悔いないし、大学4年が人生で一番勉強した時期だと今でも思っています。


さて、必死で勉強して夢中でフランス語を頑張ってたのに、大学4年で、日本に戻り、モデル事務所に入ることを決めました。

きっかけはスカウトされた事務所があったことから、
母代わりの伯母から、伯母の知り合いに話が伝わりました。

『本気でやるなら他の事務所を紹介するわ』
ということで所属が決まりました。

モデルの仕事が始まってからは、未知の連続。

CMやスチール、大手企業さん向けのお仕事などなど
活動の場を増やしていたのに、私はそのことはあまりこれまで公にしてません。

仕事は好きだけど、周りから普通に扱ってほしい。
目立ちたいわけじゃないから、ちょっと違う目で見られる事には、きっとどこか抵抗がありました。

でもめちゃくちゃ頑張ってた好きな仕事でそれも自分なんです。
だから、そろそろ普通に話せるかなと思っています。

当時は書類選考で受かれば、面談、オーディション。
受かればCMやスチール、広告媒体に起用されました。

自己管理が必要で、決して華々しいだけの世界ではありません。
そのままでも、個性はでますが柔軟に無色でいなくてはならないところもあります。

ビギナーズラック的にKIRIN一番搾りの電車内の
中吊りなど車内広告に起用され、あわひげつけて
笑顔の仕事が始まり。


携わらせていただいた代表的なものには、

シンガポール航空やTOYOTA 、
NTTDOCOMO 、au 、
サントリー、日清食品、任天堂、
マクドナルド、エバラなどなど、

CMやスチール広告などがメインでした。



始めの頃は、カタログやスチール撮影でもロボットのように動いていましたが、先輩たちを見て真似て教わっていきました。



モデル業が大変なことに、まずは体調管理。
それより、ストレスだったのは、スケジュール。

常に急なオーディションや仕事のために予定を空けておかないとならず、
友人との約束もオーディションがなければ、仕事がなければという感じで対応させてもらいました。

他には #ウェディングショーモデル 
#ドレスモデル #着物モデル  やカタログ、旅雑誌のお仕事などいただき活動していました。


結婚しても転勤までは続けていました。

その後は、流産や転勤から少しずつ心身の
バランスがとれなくなっていく事に、、

次回、②に続きます。







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地域の皆さんとの自主開催は6年目
オンラインでは国内、海外問わず
インストラクターさんもご参加されます。

講師:Sayumi 

ヨガ歴14年、ヨガ講師歴6年目



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