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親友のこと。

あっという間のGW。
今年は雨だったり寒かったり、逆にすごい暑かったり。
変な気候の連休でした。

私はまだ仕事をお休み中なのですが、
このGWは実家に帰り、のんびり過ごしていました。

そんな中、GWに1年ぶりに親友に会うことができた。

彼女は高校からの付き合いで、出会いは中学3年生の塾の春季講習だった。

お互い、同じ塾に通っており(中学の校舎は別)、高校入学に向けた春季講習に参加しており、同じ高校+吹奏楽部ということで言葉を交わしたのが始まりだった。

当時はLINEはなかったので、メールアドレスを交換して、
mixiでも友達になった(懐かしい・・)

その後、入学式当日校門前で待ってくれていて、一緒に校舎に入った。
そして同じクラスだった時は飛び跳ねるように嬉しかった!

それから部活も一緒に見学に行き、担当の楽器は違うものの
そのまま入部をし、経験者ということもありコンクールにも出させてもらい、その年の夏には東関東大会まで行くことができた。

同じクラス、同じ部活ということもあり、彼女とはいつも一緒だった。
当時よく言われた”ニコイチ”という言葉がまさにぴったりだった。

私と彼女は高校を真ん中に、反対方向に住んでいたので
毎朝、高校最寄りのマック前で待ち合わせをして登校をしていた。
そのマックは彼女が彼氏ができた際にも3人で行ったり、部活帰り塾の前にご飯を食べたりと思い出でマックである。

楽しく始まった高校生活だが、当時のGW頃、私の家でトラブルがあり学校に行けなくなってしまった。
正確には部活の練習が終わり、彼女との帰り道に母から電話がきて、
今すぐ帰ってきて、ということから彼女とは1週間ほど会えなくなってしまった。

家の都合で学校も部活も行けなかったが、GWと重なり実質数日のみ学校を休む形になったので、特段他の生徒から何かを言われることはなかったが、
私にとってその数日は、非常に長く感じた。

ただ、親友の彼女は詳しいことを聞くわけでもなく毎日私にメールをしてくれた。世間話や学校で起こったこと、どうでもいい話とか。
普通だったら、気になって何があったの?とか色々聞いてくると思うが、
深堀せず、いつも通り接してくれた彼女には本当に感謝しかなかった。

それから学校にも行けるようになり、家のことはその後もゴタゴタしたが、
彼女は変わらず接してくれ、私が引っ越したことで毎朝の待ち合わせは大和駅のホームになったものの夏の暑い日にはガリガリ君を食べながら登校したり、私にとって彼女との登下校の道のりはとても好きだった。

高校2年生ではクラスが変わってしまったが、3年生で再度同じクラスに。
部活も一緒で、塾も一緒だったので、周りから本当に仲がいいね、と言われるぐらいずっと変わらず”ニコイチ”だった。

大学はお互い違ったが、卒業後も一緒に遊んだり、社会人になっても
頻度は減ったが定期的に会う仲だった。

その後彼女は結婚し、2人の可愛い息子を産んで今は毎日忙しくしている。
定期的に会えていたのだが、彼女の環境が変わったのとコロナ禍で1年会うことできなかった。

連絡は日々しているものの、今までこんなに会わないことがなかったので、このGWにひさしぶりに会えることがとてもとても、楽しみだった。(楽しみで前日眠れないぐらい笑)

久しぶりに会った彼女は、母としてたくましくなっていたが
(ワゴン車を運転しているのはびっくりした!)
中身は昔と変わらず、私の大好きな親友だった。



彼女と私は、全く似ていない。
容姿も性格も。
私はスカートはあまり履かず、ブルーやグレーなどの色が好きだが、
彼女はいつもスカートで(スケートの時でさえ、スカートだった笑)、ピンクが大好きな女の子である。

一方性格は、私はとても小心者でネガティブだが、
彼女はいつもポジティブ。

こんなにも反対な2人だが、価値観が一緒だから仲良くなれたのだと思う。
好みや性格が違っても、逆に居心地が良かった。

15歳の時に出会っているので、もう15年も一緒にいると考えるととても感慨深い。
10代、20代、30代を一緒に過ごしてきたが、彼女はいい意味で変わらず、
私が辛い時には真剣に話を聞いてくれて、ポジティブにしてくれる。
私にいいことがあった時には自分のことのように喜んでくれる。
彼女をみていると、こんな風になりたい、と度々思うのであった。

きっとこれからもずっと、この関係は変わらず、
一緒に年老いて行くんだろうなと思う。

GWは辛い思い出と共に、
私は本当に素敵な人に出会えたな、と改めて思い出させてくれるのであった。

いつもありがとうね。
まみちゃん。



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