手首の内側

リスカなんて言えるようなものじゃないから、自傷行為だとも思っていない。
習慣のように傷つけてた時も、まぁ血がちょっと出てそのうち治るくらいのもの。太ってるから血管までも遠い。良いのか悪いのか。

大人になっても発作的にメンタルが崩壊したら、最終的には手首の内側と見つめ合えば落ち着くから、このまま一生やめることはないと思う。

手首の内側へ向かう理由は、思考の切り替え、生きてる価値のない自分という再認識や罰、言葉にできない鬱憤晴らし、かな〜。
泣き叫んでても、そこを滑らせて痛みが走れば高揚感が得られて、落ち着く。笑っちゃうくらいの高揚感。

言葉で人に頼ることができないまま大人になってしまって、悲しくても悔しくても辛くても、言葉には出来ずに息さえも飲み込んでる日々。
キャパオーバーしちゃうと、誰かを殴ることもできないし、声を荒げることもできないし、泣いて甘えることもできない。
ただ静かに泣きながら、消えてしまいたいって思いながら手首の内側をすべらせる。

理解、共感、心配とかそんなものは必要なくて、数日間この傷を見て、痛みがあることで落ち着くだけ。
全盛期は血の味がより落ち着いたけどね。
頻繁にやらなくなると、ビビってしまう。

そんなもんの小ささ。
だから、病んでるわけでもないし、リスカでもない。

久しぶりにやったら、やっぱり落ち着いたから書き残しておく。
はぁ、またフラッシュバッグか。またしねって言われたとことか思い出してる。目の前でしんでやればよかったな、って今なら思うのにね。まだ幼い自分にはしに方すらわからなかった。

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