親の介護って正直しんどい
(介護の知識がないまま〜ケアマネとの出会い〜のつづき)
母との同居生活
実家に戻り、母との同居が始まりました。
同居前は、自宅と実家の
行ったり来たりの生活(車で20分ほど)
だったので大変でした。
それがなくなり、時間的には
楽になったのですが‥‥
脳梗塞の後遺症と
パーキンソン症候群の
症状からくる認知症なのか、
性格が変わっていきました。
私も戸惑い、悲しみと苛立ちの
入り混じった気持ちが
なんともつらかったです。
とにかくパチンコが大好き!
母はまだ、足を引きずりながらも、
杖を突いて歩くことが
できていました。
本当にパチンコが大好きで
度々シニアカーで出かけるほど。
これが大変で(汗)
帰宅するといないことが何度かあり、
パチンコ屋さんまでの道のりを
確認しながら探しました(落ちていたら
どうしようと焦りながら)。
本人はのんきにパチンコ中で(笑)。
申し訳なかったのが、
ヘルパーさんが来てくれる時間にも
行っちゃうんで、迷惑をかけていました。
もともとの性格も相まった“超わがまま”
母は、いいことも嫌なこともなんでも
思ったことを口にして、
人をいやな気持ちにさせることが
多々ありました。
その性格にプラスされ、
わがままが、かなりひどくなっていきました。
デイサービスも3回かわりました。
その度に、退所の手続きをして、
次の施設に出向き、新たに、手続きをする…
もう行きたくないと、デイサービスの方が
迎えにきてくれたのに、帰したたことも。
在宅リハビリも嫌がり、
男の技師から、女の技師さんに
変えさせてもらったこともありました。
ケアマネさんにはかなり
助けていただいて。
月1の受診や体調不良で
病院に何度も行きました。
頻繁に、仕事を休んだり、
早退することが増え‥‥
自分の体調が悪くても、我慢していたのを
思い出します。
以前なら、「ありがとう」「悪いな」は
言ってくれる母でした。
でも、なにか不機嫌だったり、
無表情だったり。
身の回りのことをしても、
ご飯を作っても、
ありがとうもごめんも、
いっさい言ってくれなく
なっていました。
感情が爆発して、
「私の方が先に倒れるよ!」と
言ってしまったこともありました。
そんな時は、どっぷり落ち込んだものです。
自分の大変さばかり思い、
母がどんなにか辛いか、
亡くなって後悔するものですね。
でも、当時に戻ったとしても、
たぶん、同じことのくりかえしに
なるんでしょうが‥‥
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