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仕事を、自分を誇示するための手段にしない。無我夢中になる。

先日のこと。マザーハウス山崎さん主催の経営ゼミの事務局メンバー4人でオンライン飲み会をやった。

年末年始みんなそれぞれ予定がある中、事務局のメンバーのヒデさんが取締役を務めるアフリカローズは、昨年2店舗目を六本木ヒルズに構えたのだが(本当にすごいこと)、そして六本木ヒルズが元旦営業をしているので、1日から店舗に立つと話した。

私にはそういう生活がなかったので、それを聞いてただただ尊敬しかなかった。百貨店が元旦にオープンするといったら、いくら本店が元日閉店していても関係がないのが小売業界だ。

(ちなみに今朝の朝日新聞の『ひと』欄は、代表の萩生田さんだった。)


そして大晦日。家を出る直前までちょっと仕事をしていたのだが、夫の実家に帰る際に、新宿伊勢丹に寄った。そうしたらものすごい人で賑わっていた。一気に年越しの雰囲気を感じられた。年末の新宿伊勢丹は地上よりも人口密度が高かった。

それでも、これまでよりも百貨店がエリアによっては元旦に閉まっていて、初売りは2日や3日からというところは多い。働き方改革というか、働き方の考え方が変わってきた時代なのだなと思う一方、こうして元旦に頑張っていらっしゃる人もいる。

私はそこで、ありがたく買い物をした。


わたしが結婚した夫の家庭は本当によくしてくださり、九州の実家にいるよりも「年末年始だなぁ」と思わせてくれる。

私の実家は兄弟がおせちを食べられないので、おせちはばあちゃんちで食べていたし、なんなら親戚で集まることもなくなった。


同時に、私自身これから10年、20年、50年とじわじわと効く事業を作ろうとしている今、わたしの正月の過ごし方は、まさに先の元旦にも頑張っていらっしゃる方々のようにあるのかもしれない。

のんびりとご一緒してもらうお正月はいつか終わるのだろうか、と考えていた。(もちろん、のんびりした正月が永遠にあるわけではないが)


わたしはさらに10年20年とどう働くのだろうとぼんやり考えていたら、読書家の夫が、自分の部屋にため込んでいた本の中から西村さんの本がでてきた。


せっかくなので本を読み進めていたのだが、あとがきにこんな文がある。

 最大の敵は、常に自意識である。個性的であろうとするよりも、ただ無我夢中でやるほうが、結果として個性的な仕事が生まれる。

 仕事とは自分を誇示する手段ではなく、自分と他人に対するギフト(贈与)であり、それが結果としてお互いを満たす。これは理想論だろうか。

この本の初版は2003年。この年はまだ中学生。書籍に出てくるさまざまなインタビューは1995年のものからある。そうなると私は将来のことなんて何も考えてない小学生だ。

この「理想論」は10年以上たっても色褪せないどころか、むしろ今の「働き方」を語る要素の一部になっていて、それは的確に表現されている。


さて、私はどうだろうか。


2019年は意識的に種まきをして、少しばかり育ってきた手応えを得られた1年だった。

私なりに無我夢中さは増えたと思うし、自分の出せる力は誰のどんな価値に変えられるのかをすごく考えた1年だからこそ、2020年は化けられるような1年でありたいと思った。

とにかく、無我夢中になること。そして、私のしごとを、事業を、自分を誇示する手段にしない。しっかり目の前の人に価値を届けることに集中したい。

まずはこれが、2020年の目標といったところだろうか。


どうなるかわからないけど、今年もわたしはのほほんと年末年始を過ごさせていただいて、感謝の年末年始。

とはいえわたしはこの時期だからこそできることをやるべく、そして夫は出版する本の最終調整フェーズで原稿を見ていて、2020年夫婦ともども頑張ろうと意気込むような年越しとなった。なのでもう家に帰ってきた。


10年もたてばまた仕事の状況は変わり、家庭の状況も変わり、わたし自身もきっと今よりは大きく変化しているだろうし、また未来に何がやってくるのかはわからないけど、目の前のことを頑張りながら、周りの人の支えに感謝しようと思う元日になりました。

そしてこれは流れに関係ないけど、人生100年時代だからこそ、今ある仕事以外の得意なことを外に出していきたい。(よってエンタメコンテンツについても今後もしつこく語る。)


元日から、大真面目に「これから私はどう働くのか」を考えた。また来年しっかりこの内容を振り返って、内省できる1年にしていきたい。


2020年も、みなさまにご多幸ありますよう。
改めまして、本年もよろしくお願い申し上げます。


山田小百合

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