チェンマイの山奥にいるナマケモノ
今回のタイ旅を前に、いろんな人から情報収集をした。その際に、自分で豆を焙煎するくらいコーヒー好きな知り合いから、「レイジーマンコーヒー」なるものを教えてもらった。レイジーマン? 怠け者? 素敵な響きではないか。
タイでコーヒー?と思っただろうか。ぼくは思った。コーヒー好きにはおなじみらしいんだけど、タイの北部ではコーヒー栽培が盛んである。
特にタイの北部、ミャンマーやラオスと国境を接するあたりには、「ゴールデン・トライアングル」と呼ばれるエリアがある。この「黄金の三角地帯」はもともと世界有数の麻薬製造地で、現地民たちはアヘンの製造を生業にしていた。村をあげての麻薬栽培だからびっくりしちゃうけど、貧困にあえぐ人々は手段を選んでる場合じゃなかったという背景がある。
こうした状況を問題視したタイ政府は、王室プロジェクトとしてコーヒーの栽培を推奨した。ケシ栽培で生計を立てていた人々は、コーヒーの栽培に舵を切っていく。まあ、もともと麻薬製造のプロではあったけど、コーヒーに関しては素人集団なわけで、コーヒー農園としてやっていけるようになるには並々ならぬ苦労があったようだ。この「並々ならぬ苦労」には日本の川島さんという人が大いに関わっている。興味のある方はどうぞ。
とにかく、紆余曲折あってできたゴールデン・トライアングルのコーヒーは、現在「ドイトゥンコーヒー」として東南アジア有数のコーヒー豆として評価されている。
みたいな感じで、タイの北部はコーヒーがアツい。他にも、チェンライの山岳民族、「アカ族」が栽培するコーヒー豆を楽しめる「アカ・アマ・コーヒー」もチェンマイの人気店。今は東京・神楽坂にも店舗があって、オーガニック、フェアトレードのコーヒーを味わうことができる。ぜひ、タイの山を感じてみてほしい。
前置きが長くなったけど、今回ぼくが目指したのは「レイジーマンコーヒー」である。向かったのは、ゴールデン・トライアングルでもなく、チェンライにあるアカ族の村でもなく、チェンマイの山奥だ。
チェンマイ中心部からタクシーで一時間半くらい。電波が圏外になったり復活したりを繰り返しながら、辿り着いたのが「ノンタオ村」だ。運転してくれたタイ人のお兄ちゃんも、こんなところは初めて来た、と苦笑いしてらっしゃった。
ここノンタオ村に暮らす「カレン族」の人々が、栽培したコーヒーを「レイジーマンコーヒー」として売ることでお金を稼いでいる。この「レイジーマン」という言葉、要するに「怠け者」のことなのだけど、これは彼らの哲学でもある。
資本主義に飲み込まれていく世界の中で、伝統的な生活を守りたいけど、自給自足だけでは限界がある。そんな彼らの暮らしにおいて、伝統的な暮らしと、資本主義的な暮らしをつなぐ役割を果たすのが、コーヒーなのである。実際、彼らは食べるものから住む場所まで、ほとんどのものを自分たちで作っている。お金に困っているようには見えない。というか、お金を使わないと行けない場面というのがあまりないようなのだ。農園には犬やニワトリが闊歩し、子供たちも気が向けば大人の仕事を手伝っている。自由気ままである。
とにかく、彼らは「がんばらない」。伝統的な暮らしを守るためにこそ、怠け者であり続ける。怠け者であり続けるために、コーヒー栽培でお金も稼ぐ。このバランスが絶妙である。現在、中心となってカフェの運営や活動をしているスウェさんが、「レイジーでいることは、イージーじゃないよ」と言っていたのが印象的だ。
この村もまた、「金稼ぎのための農業」に飲み込まれまいと苦闘した歴史があり、そうした活動を引っ張ってきたのがスウェさんの父・ジョニさんである。詳しいことはネットでも出てくるし、映画や本にもなっているのでそちらに譲る。レイジーマンのもとになったローカルむかし話もおもしろいのでおすすめである。
コーヒーが好きだと伝えると、裏のコーヒー農園や焙煎機なんかも見せてくれた。ぼくは初めて生の「コーヒーの実」や「コーヒーの葉」を食べました。他にもジョニさんの庭(というか森)を案内してもらって、その辺に生えてるパクチーを食べてみたりもした。どの植物は身体のどこにいいとか教えてもらったり、コーヒーにとどまらない、生きた知識の豊富さに驚かされた。
淹れてもらったコーヒーを飲んでいると、スウェさんがギターを弾いてくれたり(日本人であるぼくのために「島人ぬ宝」を演奏してくれた)、庭で採れるバナナやアボガドを振る舞ってくれたり、終いにはガッツリ昼飯までご馳走になったり…。
ドリップコーヒーが小カップ三杯分くらいで100バーツ。あら意外とお高いのね、なんて思っていたのが恥ずかしい。まず、コーヒーがえらい美味しい。そして当たり前のような顔で、次から次へとおもてなしの連続攻撃。そうか、ここではお金はあんまり意味のないものなんだろうなあ。実際、たっぷりダラダラしてさあそろそろ帰りましょか、となった時にはみんな作業に出ていて、お金が払えなくて困ったくらいである。
お金にも、伝統的な暮らしにも、どちらにも頼りすぎない。お金も稼ぐけど、それに飲まれない。この絶妙なバランスを見事に実践している人々が、タイの山奥にいる。
なんかかっこいい感じになってしまったけど、シンプルに、心地よいユルさがここにはある。「まあゆっくりしていきなよ」という雰囲気がそこらじゅうに溢れている。
山奥にいるナマケモノと言ったけど、実はこの山というのが、タイで一番高い「ドイ・インタノン山」で、ノンタオ村はその麓にある(村の標高は1,000mちょいだったろうか)。山頂まで車で行けちゃうので、観光地としても有名。ぼくは「コーヒーを飲むためにここまで来た」と言って、さすがのカレン族も驚かせてしまったけど、山登りのついでに、自然を楽しむついでに、コーヒー飲みに行ってみるのもいいと思う。
ぼくは自分のことを「なまけもの」であると自負していたのだが、まだまだアマチュアだったなあ。
出直します。