現実逃避

 母親が死んだ。58歳だった。

 世間一般的にいうと、58で死ぬのは随分とはやいらしい。らしいとしか思えないのは、経験したことがなさすぎて何歳で死ぬのが平均かなんてしらないし、母は7年と4か月前から余命が半年〜1年と言われていたのが大きいと思う。大往生だ。間違いなく。頑張ったと思う。これも、間違いなく。

 母親が死ぬとはどういうことか。これが私は、未だに、わからない。母が死ぬ2ヶ月ほど前に入院して、日に日に悪くなっていく様子を見て、死について考える時間が増えた。死とは、なんなのだろう。

 もう二度と会えない事実を、一週間経った今も受け止められない。それどころか、考えて悲しくなるのが怖くて、楽しいことばかりを考えて現実逃避をしてしまっている。いつか受け止めなくちゃいけないとわかっているのに、受け止めるにはあまりに大きく、また、それを受け止めるには、私はあまりに未熟なのだと思う。これをこうして書いている今も、こわくて、泣きそうで、何度も目を逸らしてしまいそうになっている。

「まだ若いのに」「長生きだ、頑張ったよね」
「真夕ちゃん、しっかりね」「何かあったら頼ってね」
「親子共々本当にお世話になりました」
「これから父ちゃんと兄ちゃんと頑張らなきゃね」

 お通夜の日、主にこういう言葉をかけられていたと思う。私はというと、あまり実感もなく、母の知り合いは私の知り合いばかりで父も兄もその点に関しては役に立たないので挨拶や会話に追われていた。外面が良いのは両親譲りで、終始ニコニコしながら会場を動き回っていた。母のことを知らない、尊敬している職場の上司に「真夕が元気すぎて心配だよ、おかしくなってる」と言って抱きしめてもらった。胸の中で、そうかもしれない、と思った。皆、笑顔の私を見て微妙な顔をしていた。それでも私はそうすることしかできなかったから、ずっとにこにこしていた。だってこれは私の良いところだから。母ちゃんが褒めてくれた、良いところだから。
 色んな人に挨拶をして、話しかけられて、泣いているのを見て、なんだかとんでもないことが起こっているのかもしれない、とぼんやり思っていた。
 そうしてぼんやりしたまんま、お通夜が終わって、なんやかんやで見送る時は運ばれていってしまうものだから止めたりはできなくて、身を焼かれて、ちょっと泣いて、骨に対しては何も思わなくて、骨を拾って、なんやかんやで実家に帰って、呆然としたまま仮の仏壇みたいなのが設置されるのを眺めて、お供え物を供えて、線香をあげた。

 なにこれ。って、いまも、思っている。

 母ちゃんが普段使っていたスペースを片付けて仏壇仕様にしてあるから、そこに椅子がなくて、本人が居ないのが違和感だった。線香のにおいがする。自分も頻繁に線香に火をつける。おりんの音が時折鳴る。果物やお菓子が置いてある。全部知らないものだ。我が家にあることが恐ろしい。これが日常になるのがこわい。なにこれ、知らない、全部知らないよ。こんなのいらないから母ちゃんを返してよ。なんて、夢みたいなことを思ったりする。

 もういないなんて勝手なことを言うな。そればっかり、思ってる。

 父が仏壇の前で手を合わせる度に、家に家族じゃない誰かが来る度に、お経が詠まれるのを聞く度に、外に出て誰かに会った時に苦しい顔をされる度に。全部を投げ出して、この狭い町から逃げ出してしまいたくなる。この町は私の寂しさを排出するのにはあまりに窮屈だ。仕事に戻ったら「どこ行ってたの」とか「この度は……」とか言われるんだろうな、って思うとこわくて行けなくなる。買い物もできるだけ人のいない時間を見計らってしまうし、ほとんど引きこもって、ベッドの上で横たわっているだけの日々。母ちゃんはきっと、母ちゃんのせいで、って、落ち込むと思う、けど、ごめん。まゆ、これしか今はできない。ごめんね。ずっと親不孝だね。

 母から受けていた愛があまりにも大きくて、それを美味しく食べて私も愛に育ってしまったこと。私はこれを自分の誇りだと思うと同時に、いまはこれに苦しめられているとも思う。

 寂しさを埋める手段を知っていた。幸い私は創作者だったから、現実逃避は得意だ。最近ハマった新しいコンテンツ。自分のためにする他者への感謝。結局私は救うことは救われることだと信じてやまない。
 いま恋人がいなくて良かったと心の底から思う。精神的に自立できていなかったら、もっと大変だったんだろうな。
 現実逃避って、悪いことじゃないよね?
 って、誰が正解を教えてくれるわけじゃないのに、安心したくて毎日自問自答している。逃げたからって現実がなくなるわけじゃないのにね。わかってるよ。でも、これしか保ち方がわからないんだよ。


 本当は全部わかってる。亡くなった命が戻らないこと。母にはもう二度と会えも話せもしないこと。私はこれからちゃんと立ち直ること。この悲しみはいつか日常に埋まって消えること。
 遺体の冷たさを細胞が覚えているから。


 ごめんね、全然自慢の娘じゃないね、わたし。母ちゃんが自慢してくれた仕事にも行けずに、寝てばっかりいて、ダメな子だね。だからさ、なに泣いてんのって言いに来てよ。ふんくらふんくらしないのって笑い飛ばしてよ。大好きだよって抱きしめてよ。

 まゆなら絶対大丈夫って、私の中で生きている母が言うんだよ。母ちゃんが言うならそうなのかな。まゆならできるかな、頑張れるかな。そうだよね、だって、母ちゃんの娘だもんね。でも、もうちょっとだけ目を逸らさせてね。いつかちゃんと、元気になって、夢を叶えるね。母ちゃんが「母ちゃんが死んだら何してもいいよ」って言ってくれたから。まゆ、ちゃんと、死ぬまでそばにいたよ。えらいでしょ。


 もう私の中にしかいないんだね。でも、私の中にだけはいるんだね。


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