存在価値

 自分の存在価値について考え続けている人生だ。いつからこればっかりになってしまったのかはわからないけれど、思い当たる節はいくつかある。

 必要とされることこそが最上の喜びで、それを食んで生きてきた。今も、そうだと思う。そればっかり好んで食べてきちゃったせいで、それがないと途端に自分の必要価値がわからなくなる。
 あんまり褒められることのない幼少期だったと思う。容姿も性格も勉学もなにひとつ秀でていることはなかったから、当然と言えば当然かも。明るくて、クラスの全員と分け隔てなく仲良くできて、頼まれたことをあんまり断らないような子だったと思う。それを利用されることもあったけれど、所謂スクールカーストのどこにも所属していないのに、誰とでも仲良くできていたのは自分の好きなところだ。こうやって自分で褒めるしかないくらい、褒められることが少なかった気がする。頼られることは多かったけれど、えらいね、すごいね、頑張ったね、は、あんまりもらったことがない。それが嫌だな、憎いな、と思っているわけでもなく、それを手に入れるためには努力が必須であるという考えが身についたので良かったなと思っている。その代わり、大人になってからそれらを過剰に欲しがってしまうというデメリットもあるけれど。

 恋愛に関して、あんまり「普通」じゃないことばかりだった。高校生のとき初めてできた恋人は自分より7つ上の社会人だったし、DVをするような人だったし。その次にできた恋人も20歳を超えていたし、その次も、その次も、そう。自分より3個以上年上の人としかお付き合いをしたことがない。これはちょっと、変だと思う。14個上の人と付き合っていたこともあるし。(それは相手側に非があるといまならわかるけれど。)
 だから、制服デートに強い憧れがあるし、コミュニティの中でちょっとからかわれる、なんてことにも憧れたりする。夢見がちに育ってしまった。その欲を現実世界で発散することなく、夢小説で発散できていたのはかなり良かったなと思う点である。現実で発散しようとして痛々電波ガールになっていた世界線もあると思うと普通にお腹が痛い。私は小学校高学年くらいからずっとオタクだったけれど、少年趣味だったことが幸いしてかあんまり除け者にされた記憶がない。陽キャ(を装った)オタク、を学生時代はずっとやっていて、それも今思えば良かったな〜と思う。何の話?
 夢見がち少女時代を過ごして、年上の人とばかり付き合っていた私は、現実と理想のギャップに苦しむことがあんまりなく育ったと思う。恋愛ごとに関しての大抵のわがままは聞いてもらって、したいを叶えてもらっていた。失恋メンヘラ時代については割愛。褒められたいが育ったのはここが結構大きかった気がする。褒められる喜びを知った、と言うべきか。知ってしまったから、それに依存してしまったし、それがないと生きられない時期もあった。インターネットの男の人を引っ掛けるのは簡単で(失礼)ちやほやしてもらっていたし、当時の私は素直でアホだったので引っ掛けている自覚など一切なく、全部が全部全力の恋愛をしていた。青くて可愛いね。

 社会人になって、成果を上げて認められる(褒められる)喜びを知った時、正直恋人からもらうのと比べ物にならないくらい幸福だと思ったのを覚えている。今度はそれに夢中になって、仕事に全力を注いでいた。頑張れば頑張るだけ結果になるのが嬉しくて、やみつきになっていった。叱られても怒鳴られても影で悪口を言われても関係なかった。数字が私の存在価値を証明してくれていたし、働いている内に思いやりとかも教えてもらって、どんどん良い上司、良い人材になれていたと思う。昇進したときは本当に嬉しかったし、お金なんかより評価がずっと大事だった。社内の評価も嬉しかったけれど、お客様からの感謝や愛もとびきり嬉しかった。「あなたがいるから買いに来るのよ」「買おうと思ってなかったのに顔みたら買っちゃうわ!」「この間来たのにいなかったから会いたかったよ」など、なんかもう本当に、色々な言葉をもらっていた。愛することは簡単なのに愛してもらうのは難しい。お客様と販売員なら尚更。なのに愛してくれていたことが本当に嬉しくて、今でも誇りだ。

 両親というのは本当にあたたかくて、無条件で私のことを骨の髄まで愛してくれている。これはすごいことだと思うし、恵まれていることだと思う。くだらないことで臍を曲げても、仕事が忙しくて八つ当たり気味になってしまっても、部屋がどれだけ汚くても、離婚してくれとせがんだ日があっても、大嫌いと言ったことがあっても。なにをしても私のことが大好きで、私のことが可愛くてしょうがないふたり。こんなひと、世界中のどこを探したって、いるわけない。父ちゃんと母ちゃんの子供に生まれて来れて良かったと、心の底から、思っている。

母が死に、仕事を休職し、自分の存在価値がなくなってしまった。

と思うことをやめられない。いちばん近くのいちばん大きな愛を失った代償はあまりにも大きいのだと思う。母がいないことは、私にはどうすることもできなかったし、そんなに後悔も多くない。もっと良い娘だったら良かったとは思うけれど、母が死ぬ間際の2ヶ月間はできることを全部やったと思う。母ちゃんもそう思ってくれてると思うから、それで良い、と思うことにしている。

仕事。というか、職場で、こんなに求められていないと思わなくて、悲しくてどうしようもなくて、休職を選んだ。気遣いとも呼べるやっかみは私を確実に苦しめているのに、それに気づく気配もない。母ちゃんが死んじゃったから働けないと思ってるんだろうな。全然違います。あなた達と働けないだけです。仕事っていくらでも替えがきくと分かってはいたけれど、それを受け止めるのはかなりしんどいことだ。だって、特別頑張っていた。従業員のことはどのお店の責任者より大事にしてきた自信がある。だから、自分が大事にされないことの理解ができなかった。(今もできてない!)してあげた分返してほしいなんて思ってないし、してあげた、なんて烏滸がましい言い方をするつもりもないけれど、酷い仕打ちを受けているなあと思う。これが全部被害妄想だったとしても、思ってしまったものは仕方がない。みんなみんな、自分がいちばん可愛いよね。わかるよ。私も自分がいちばんかわいいから、私を大事にしてくれない場所には戻らないよ。
ちょっとくらい困れば良い、と思ってしまって、昨日お店に置いてある自分の物を全て回収してきた。参考にしたい資料とか、私が実践してきたこととかをまとめたもの、全部。データも消せばよかったな、なんて意地悪なことも思っちゃったり。引き継ぎできなくてごめんねと、私がいなくて大変になっちゃえば良いのにが同居するからむずかしい。こうすることでしか自分の存在価値を知らしめられない憐れな人間だと思う。でもこれくらいさせてよとも思う。優しくないやつだ。よくない。でも自分を守るためにやってしまった。私のことを好きな可愛い後輩がいて、気まずそうにしつつも「さみしいです」「戻って来てくれるのずっと待ってます。その時は飛んで喜びます」って言ってくれた。かわいいね。ごめんね。

家に帰ってきてから特別私を好いてくれているお客様に個人的に電話をかけた。ずっと休んでしまっていることを謝りたかったし、今後も居ないということを自分の口で伝えたかったから。夜もそこそこ遅かったので、とりあえず1人、と思ってかけた電話で、愛を知った。
そのお客様は昔御自身も接客業をしていて、私と同じ偉い人だったのだと言う。おいくつになられても背筋がピンと伸びていて、ハキハキ喋られる素敵なひとだ。

「こんばんは、夜分遅くに申し訳ありません。わたくし…(自己紹介が続く)」
「……あなた、元気にしていたの。ずっと気にしていたのよ、毎日新聞も見ていて。まだお店には戻れていないの? 元気、大丈夫? 私あなたの下のお名前を聞こうと思ったくらい気にしていたの。お名前が分かれば病院に問い合わせることもできるでしょう。お店の前を通る度にいないな、いないな、って探していて。他の人に聞く気にはなれなくて、若い子ってそういうの嫌がるでしょう、だからずっと悩んでいて」

線を抜いたみたいに溢れていた言葉にびっくりした。お客様がこんなに取り乱しているところを初めて見たから。言われた言葉をひとつひとつ噛み締めて、愛の味がして、電話越しに大泣きしてしまった。
母が亡くなったこと、まだお店には戻れていないこと、今後も復帰の目処がついていないことを伝えた。このお客様は私が休み始めた時にも一度お店に連絡をくれていて、ずっと心配してくれていたのだという。

「連絡してくれて嬉しいわ。本当にありがとう」
「あなたのいないお店の活気のなさといったらないわ。元気がないというか……。あと、いじわるな人がいると思ったわ。窮屈そうな感じがする。あなたがいたときには感じなかったのよ」
「他の方に失礼だと思いつつ、どうしてかわからないけれどあなたに惹かれてしまうの。仏壇に供えるお菓子を買いに行っていたつもりだったのに、あなたに会いたくて行っていたんだわ。前まではお友達に頼みこんですら連れて行ってもらっていたの。めっきりお菓子を買わなくなってしまって、お父さんに怒られちゃうわよ」
「会いたい。会いたいわ。コーヒーでも飲みましょう。会いたいわ。顔を見たい。会いたいわ」

ここ最近の私といっては、言い訳をしてばっかりだった。仕事を休むことに対して、「でも本当に愛していたんだよ」って、誰に咎められているわけでもないのに、愛していたのに、愛しているのに、って言ってばっかりだった。言っても言っても、自分を納得させることができなくて、言い続けてしまっていた。愛していたんだよ、本当だよ、嘘じゃないよ。本当に愛はあったんだよ! わかってほしくて、わかりたくて、ずっとずっと心の奥が泣き叫んでいたんだと思う。

お客様の言葉を聞いて泣きながら、ようやく、ようやく、納得できたような気がした。私の探していた、失ったと思ってしまっていた愛が確かにここにあった。ちゃんと愛していた。愛されていた。嘘じゃない。在る。ちゃんとここに、私の愛を証明してくれる人がいる。積み重ねてきたものは失われてなんかいなくて、私の信じた愛は本当に本物だった。これを愛されていないと言うなら、愛なんて一生理解できなくていい。そう思えるくらいの、愛だった。

いくら田舎だと言ってもお客様と販売員という間柄でここまでの愛を形成するのはかなり難しいのではないかと思う。これを読んでくれている、都会に住んでいる皆様方からしたら異常に見えるかもしれない。でも私は接客に対して、販売員という肩書きを持ちつつ、人と人として接してきていたから、これがとんでもなく喜ばしいことだった。このお客様は私に頑張れって、戻っておいでって言ってくれたから、戻る気がないのが申し訳なかったけれど、でも、そう言ってくれる人が居るってことが嬉しくて、それだけで頑張ってきてよかったなって思えた。

海外で働いている仲の良い友達から「いてくれるだけでいいよ」って連絡が来た。辞めた同期から「毎日悲しいことばっかりだけど、
なんとか今日も生きようね。ちょっとずつでも日々を穏やかに過ごせるように。愛していこうね。」って連絡が来た。毎日LINEや電話に付き合ってくれる友達(また明日と、ありがとう、こちらこそに救われているなとしみじみ思う)。毎日LINEをしてくれる友達。連絡したらすぐ返してくれる友達。返事が遅すぎる私を咎めもしない友達。先の予定をくれる友達。見てるよって言ってくれる友達。私の病みツイートにそっといいねをくれる友達。どんだけ暴れ散らかしてもブロックもミュートもしないフォロワー(友達!)。定期的に増えるマシュマロとDM。友達には本当に恵まれすぎていると思う。私の愛の結果かな、そう思うことを許してね。

ようやく、生きてても良いのかもって思える時間ができた。母からの愛は私の中で生きていて、私を必要としてくれている人が仕事にもちゃんと居て、お客様もそう思ってくれていて、私のことを好きな友達がいる。じゅうぶんすぎるくらいだ。
失ったものは返ってこないし、母ちゃんとは二度と会えないけれど、私のことを必要としてくれている人や、私がいなくなったら悲しむ人がいることをわすれたくないなって思った。求められている、とは違うのかもしれないけれど、それでも、そこに存在価値があるよって納得していきたいなと思えた。
それに、私はきっとこういう生き方しかできないから。次に新しいことを始めてもきっと愛を求めるし、つくって、手に入れると思う。実際色々やり始めてることもあるし。みんなのおかげで、ここ(職場、土地)じゃなくても良いんだなって思えたよ。

それができる子に育ててくれてありがとう。母ちゃんはまゆが仕事辞めるの嫌かもしれないけど、母ちゃんが「母ちゃんが死んだら何してもいい」って言ったんだからね! 心配しなくても勝手に幸せになるからさ、見ててね。あ、でも程々に心配してね、寂しいから。笑

何かしないと気が済まないから、多分これからも生き急ぐみたいに何かをし続けるし、そこで大事なものを失ったりするかもしれないけれど、今はそういうのも必要なんだなって思うことにするし、自分のことを肯定していきたいなって思えたよ。人生長いしちょっとくらい遊んだり道を違えてもなんとかなるよね。今まで真面目に働いてきたご褒美ってことで許してほしいな。

自分の存在価値を自分で証明できる人になりたい。でも今はできないから、みんなからの愛を借りるね。生きる理由をありがとう。大好きです。いつかちゃんと返すね。

存在価値がわからなくなったときに、このnoteに戻ってくるよ。


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