自己調整学習って名前の「ほったらかし」になってない?
「先生は何もしないのですか」
授業を見に来た若い先生が、「この授業は先生は何もしないのですか?」と批判的に声をかけてくれました。授業を見て「ほったらかしになってしまうのではないか」「ほったらかしとはどう違うのか」という声も耳にすることがあります。今回は、私なりに考えている「ほったらかし」にならないために大切なことについて書いていきたいと思います。
自己内評価基準
まず、自己調整学習において重要になってくるのが「本当にこの方法でいいの?」「今のペースで間に合う?」「このクオリティで大丈夫かな?」とメタ認知的モニタリングするときのメタ認知的知識と自己内評価規準じゃないかなと考えています。(今回はメタ認知的知識については割愛します。また別の記事で書きたいと思います)
この自己内評価規準は「見通し」で持つことが大切だと思います。詳しくは「見通しの価値」の記事をお読みいただけたらと思います。
この規準が下がってしまうと、ぼーっと1時間を過ごす自分を問題ないと評価してしまうことになります。これは自分自身に対する自己効力感とも大きな関係があると言われます。「どうせ私にはわからない」と感じている学習の場合、どうせ何やっても一緒だと無気力になり、この自己内評価規準が下がってしまいます。
自己内評価規準を上げていく
1.動機づけ
では、どのように自己内評価規準を上げていくのかです。その一つに動機づけがあります。私たちの研究チームではエドワード・デシとリチャード・ライアンが提唱した「自己決定理論」を動機における研究テーマにしていますが、自分で決めたと感じることができ、自分自身で決めることで「これくらいならできそうだ」と可能性を感じ、クラスの中で自分がつながりを感じ、自分の学びに関心を持たれていると感じられること。もちろん動機づけにおいて、個人の興味関心に依拠するところは大きく、好きな教科、好きな先生、好きな〇〇、知っていること、以前に行った場所に関することなど、今までの経験や感性により動機は大きく左右されます。
例えば、おもちゃランドをつくり下級生を招待する学習のように、自分たちより小さな子に自分たちの学びを届ける場合、顔の分かる他者を設定することで動機は高くなりやすいのです。そして、おもちゃの質(自分の学習の成果物に対する自己内評価規準)も「なんでもいいや、これくらいでいいや(低い状態)」ではなく「1年生だったらこれじゃあ操作が難しいだろうから、もっと持ち手を大きくしないとな(高い状態)」とよりよくするために、自己内評価規準は上がっていきます。しかし、全ての子どもの動機を単元の初めから終わりまで高い状態で担保し続けることは叶いません。
2.環境支援
そこで、私たち教師の支援が必要になるのではないかと考えています。それが環境支援です。この環境支援には2種類あり、1つ目が社会的環境支援で、誰とどの様な関係性で学習をするのかです。2つ目が物理的環境支援で、学習進度表やチェックシート、ルーブリックなどです。一緒に頑張れる友達がいたり進度表があったりすることで、自己内評価規準を底上げしていくことができるのです。
環境支援は、初めは明示的に「これをすることで、こんないいことがあるよ」と教師から提示し手渡していくことが必要です。もちろん、子どもの行動から「〇〇さんはどうして□□さんと勉強をしようと思ったの?」「なるほど、□□さんの説明がわかりやすいんだね」などと価値づけしていく方法もあります。そして、そうやって見つけた学びの作戦(学習方略)を「説明上手な人のそば作戦」のようにみんなで名前をつけながら、目で見えるようにしていくこともできます。
ただ、そうやって見つけた作戦を採用するのかどうかの判断は、その子自身がしていくことが大切です。
自己調整学習においては子ども一人ひとりの動機をとても大切なものです。そして、その安定しない動機とともに大切になるのがメタ認知であり、何をどのようにメタ認知するのかの視点(メタ認知的知識)と自己内評価規準の高さだと考えています。「ほったらかし」にならないためには、教師自身も子ども一人ひとりの学習状況や動機を把握し、動機を上げるための支援や社会的・物理的環境支援が必要かどうかを判断し、環境を整えていくことだと思います。
終わりに
大切なことは、質の高い成果物(作文、パワーポイントやテストなど)のために何かを強制的にさせてしまうのではなく、子どもを1人の人として考え、動機を大切にしながら自己調整し、自分自身を知る環境をデザインすることだと思います。
初めて出合う領域の初めての決断は、大人からするととても正しいようには見えないことも多くあります。しかし、大人が間違っていると感じるような決断を子どもがしたときに、自分自身でその決断を振り返られるように支援をしていくことが大切なのではないでしょうか。強制力のある学習は、その時の成果物の質は上がっても、その評価規準を高めたのが自分自身ではなく教師になってしまいます。もちろん、成果物の質が上がることが小さな成功体験となり、次への動機につながることも考えられるため、一概にいけない行為だと言っているわけではありません。
ただ、できる限り強制するものは減らし、自分たちの学びは自分たちで創っていくのだという感じられるような環境デザインを送り続けたいなと思っています。
参考・引用文献
中谷素之・岡田涼・犬塚美輪(2021)「子どもと大人の主体的・自律的な学びを支える実践 教師・指導者のための自己調整学習」