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目標と価値規準の違い、関係について

今はコロナで、旅行とか行けないのがとてもつらい。

私は、性格的に、「一人旅」は苦手である。誰かと一緒に旅行するのが好きで、思い出や感動を共有することを旅行の醍醐味としているところがある。「旅行は計画しているときが一番楽しい」と言ったりする。もし、旅行を計画するとしたら、どんな計画をたてるだろうか。

人生は旅に例えられることがよくある。目標と価値規準の関係も旅に例えるとよくわかる。

旅行の計画は、すなわち人生設計のようなものかもしれない。こんな企業に就職して、何歳までに結婚して、何歳までに子供を産む。何歳でマイホームを建て、何歳で起業する。そして、老後はこういう生活をする。人生という長い旅程の中での目標地点みたいなものがあって、そこを目指して日々を生きる。人生の旅の中での目標を定めるのが人生設計ということになる。

とはいえ、すべての人が綿密な人生設計を立てているわけではない。私もそれほど真剣に人生設計をしたことはない。いわば、行き当たりばったりな旅行を楽しんでいるようなものである。計画するとしても、行き当たりばったりだとしても、旅行は進んでいく。

さて、人生において旅程を計画するとき、関わってくるのが「何を一番大切なものとするか」という価値規準である。

旅行を計画するときもそうだ。行きたいところとして決めるのは、自分が楽しいと思うところではないだろうか。きれいな景色を旅の目標にするのは、景色をきれいに写真に収めることを旅行の楽しみにしているからだろう。大自然の中のアクティビティを計画に含めるのは、体全体で自然を感じてエネルギーをもらうことを旅行の楽しみにしているからだろう。旅行を「無計画」にすることを計画する人もいる。行き当たりばったりで、その場その場のハプニングや出会いを楽しみたいと思っているからかもしれない。

人生設計に仕事の目標を含めている人がいる。社会のために貢献すること、もしくは地位や名声を手に入れることが大切なことだと感じているのかもしれない。パートナーを持つことや、子供をつくることを人生設計に含めている人がいる。その人は家族を守ることを人生において大切なことと思っているのかもしれない。人生設計をそれほど重視しない人もいる。それは、今を大切にしたいと考えていて、目の前にある楽しいことを全力でやろうと考えているからかもしれない。

気付いたことがある。

目標は意識していても、価値規準は意識しないことが多い、ということだ。

頭では、これが大切だ、と思っていても、裏腹な行動をとってしまうことがあるということである。そういうとき、せっかく立てた人生設計が崩れてしまう。陳腐な例えだが、家族を大切だと思っていても、その場の感情に流されて不倫することがある。この場合、「家族が一番」という価値規準を持っているといいつつ、実際は「今を楽しむ」という価値規準を一番大切していたということになる、のかもしれない。

自分の価値規準がどこにあるのか、考える。少し、振り返って、考える。このまま、自分の旅はどこに向かうのか、どんな楽しみが待っているのかを考える。自分の人生を楽しみたい。だから考える。それが、自分の目標と合っていないと、いつかその矛盾が挫折に変わるかもしれないと思うのだ。

コロナが収束したら、どんな旅行をしようか、と友人と計画を立てる。それさえも、楽しい。

私は結局、仲の良い友人とであれば、どんな旅行だって楽しめる。


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