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後悔のない人生

お金が無くなったら死ねばいい。

いつ生活費が尽きるか分からないので死ぬ前に私の人生を大まかに書かさせてさせていただく。こんなに理不尽で、どうしようもないこともあるんだと、少しでも何かを感じていただけたら幸いだ。



とある辺鄙な田舎で388ちゃんは生まれた。

小学校に上がり、しばらくした頃父親と母親が大喧嘩、父親は私が6歳の頃に家庭内別居となった。(離婚は十数年経った今でもしていない)

それから母親は家に男を何人か連れ込み、彼氏と称し、3人であたたかい晩御飯を食べ、お風呂に浸かり、別々の寝床で寝た。

夜な夜な物音や、不審な喘ぎ声が聞こえ、その当時は理解していなかったが、1人泣いていたのを覚えている。

その頃から母親は精神を病みだし、過食嘔吐や夢遊病、私への精神的虐待、そして彼氏とのセックスをたびたび私に聞かせた。


中学校に上がるころ、私は思春期真っ只中で性への興味もありつつ、恐怖もあった。

母親がトラウマになってしまった。

私の人生で一番嫌だった出来事は、学校で馴染めないことでも、父親が家にいないことでもなく、母親が母親ではなく、ただの一人の女になってしまったこと、私に「父親とそっくり」と言いのけたことだった。

そんなに父親が嫌いなら産むなよ、と思った。

毎晩泣いていた。今だに涙が出る。これは私の人生において最初の理不尽な出来事だったと思う。


そして中学二年生になり、私は精神科に通い始め、当時一番引っかかって辛かったことを医師に初めて打ち明けた。

「両親の仲が悪くなってしまったことをずっと自分のせいだと思っている。全て自分のせいだと。」

そうすると、先生が流れるように父親に向かって質問した。

「今388ちゃんが言ったことはどうなの?」

もちろん父親は否定する。

「あらそう、でもほんの少しはあなたのせいかもしれないね(笑)」

今の会話に不自然なところがあったのだが、お分かりいただけただろうか。


これは私の人生において、第2の理不尽であった。


それから私は全てを自分のせいだと思い込み、何回か自殺未遂をした。


本当に死のうと思ったわけではない。この現状から逃げたかったのだ。突発的で衝動的な現実逃避だった。

田舎にはカラオケやゲーセンもなく、近所には知り合いしかおらず、遠出するには車が必要で、逃げることがとても難しい。

私は市販のカフェイン剤を過剰摂取し、12時間寝ずに吐き続けた。ついに出るものもなくなって、母親に打ち明けた。

「お薬飲み過ぎたんだ。だから病院に連れていって」

返答はなかった。諦めた私は父親に連絡した。

休日だったのもあってか、父親はすぐ車で迎えに来てくれた。家を出る直前に母親が一言こう言った。

「私を置いて逝くつもりだったんだね」

言葉が出なかった。

なんでこの人は自分のことしか考えられない人なんだろうと思った。


高校一年生の6月。人生で初めて救急車に乗り、一泊だけ入院をした。一晩中父親が何も言わずに手を握っていてくれた。

紹介状が書かれ、退院後昼食を取ってすぐ精神科に向かうと、「自殺企図のため医療保護入院」となった。

実家に居るのが苦痛で仕方なかったので正直安心した。(実は入院が二度目だった。一度目は中学三年生の冬。これは任意入院だった)

2〜3週間後に退院してしばらくすると、高校生に上がって初めての夏休みだった。9月はなんとか登校していたが、10月に自主退学をした。


終わらない15歳の夏休みの中、私はその後狭いワンルームのアパートで一人暮らしをすることになる。


これだけ人生理不尽と、つらつらと愚痴を言っているが、数年経って分かったことがある。父親も母親もあの精神科医も、誰も何も悪くない。これを読んでいるあなたも。

死ぬ必要や、価値のない人間などどこにもないのだ。

今まさに死のうと思っている人がいるなら、私の次のnoteを読んでからにしてほしいな。


続きはまたいつか。


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