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自分は本当に馬鹿だなぁなんて終電に乗りながら思った夜

昨日は、月に一度の休日出勤の日だった。

月曜日は本来、番組としては休日扱いなのだが、視聴率発表に伴う事務作業をする必要があるためADが交代で出勤している。その日は一人で仕事ができる上、平日は代休がもらえるので個人的には月曜出勤が好きだ。
この職場での仕事は残り一か月なので、もしかして最後の月曜出勤になるのかもしれない。

その日スタッフルームに来ていたのは医療専門記者のKさん一人だけだった。
彼は長年医療分野で取材を重ねてきたベテランの記者で、コネクションと実力を生かし、一人で現地に飛び撮影までこなすという身軽なスタイルで独自の取材を進めている。
局員でありながら一匹狼気質のKさんは周りから疎んじられているみたいだけれど、フリージャーナリスト志望の私は密かに尊敬していた。

彼は今、沖縄独自の新型コロナ感染対策を追っていて、ここ数か月で何度も沖縄に飛んでいた。最近は私に直接仕事をお願いしてくれることが多くなった。
普段は番組のAD5人で分け合って仕事をしているため、誰のどんな取材なのかも把握しきれないうちに車両やホテルを発注して毎日が過ぎていくことばかりだった。そんななかで、わざわざ自分を選んで頼んでくれているような気がしていて、なんだかとてもうれしい。

今日も、来週の取材で那覇市内のタクシーを手配してほしいとお願いされた。
いつも沖縄でお願いしているNタクシーの人ともだんだん馴染みになってきて、名前を言えば「どうもどうも」と挨拶を交わしてスムーズに話が進む。やりがいを感じにくいADの仕事の中で、わずかながらではあるが、そうやって自分で作った人間関係ができていく感じが好きだ。

この仕事をしていて、大変なことばかりだったし、楽しいことや面白いこともあまりなかった。だけど、少なからず出会えてよかったと思える人がいるし、私を頼って仕事をお願いしてくれる人もいる。せっかくテレビ局で働けているんだし、ここで働き続ければ安定した収入も将来的な展望もあるはずなのに、馬鹿だなぁ、なんて今更ながら思った。

それでも私はここで過ごす時間の大部分を苦しい気持ちのまま過ごしていて、これ以上耐えようと思えば自分に限界が来ることは間違いなかった。

そろそろ終電が気になる時間に仕事を切り上げ、夜ニュースを見ているKさんに「お先に失礼します」と挨拶をして、スタッフルームを出た。なんだか急にサンボマスターが聴きたくなり、AirPodsを耳に挿して再生した。

最終電車に揺られて、かっこわるくてかっこいいサンボマスターを聴く。そこから連鎖的にエレファントカシマシやELLEGARDENに小沢健二と、中高生の頃から今まで聴いてきた自分史上最高の「エモい曲」を次々と聴いていた。

あれから今まで、少しでも自分は夢に近づいているのだろうか?

最終電車に揺られながらそんなことを思った。これらの曲を聴いて過ごしてきた昔の自分と今の自分、その両者の間を意識の中で行ったり来たりしながら考え事をする。

まだ夢が夢のままであった中高生の頃、夢と現実を直視するのが怖くて逃げ回るために遊んでばかりいた大学生の頃。そしてようやく夢に向かって立ち向かい始めて、その道が想像以上に険しい現実に気付いて冷や汗をかいている今。

随分遠回りしてきてしまったな、と思う。昔から映画も文学も美術も好きだったけど、そんなものを真面目に専攻したり仕事にしたりしたら生きていけないと思っていたし、だからそれらに没入しすぎないように意識的に距離を置いていた。

私は小さい頃から自分は発達障害らしいということを自覚していて、普通のことも人並みに出来ない人間が、好きなことを学んだり仕事にしたりすることなんて贅沢だと思っていた。「やりたいことをやる」ことも、若者らしく「やりたいことが分からない」と悩むのも、どこに放り込まれてもやっていける汎用性のある能力を持った「普通の」人間だけがもつ特権のように思えた。

別に医者になりたくて医学部を目指していたわけではない。物理や数学が好きで建築学科に入った訳ではない。
ただ、そういう理系の専門職に就き、高度な資格によって自分の立場を守ってもらわなければ、私はこの世界で存在ごと抹殺されるだろうという気がしていた。

私は好きなことややりたいことを探すことも、あったとしてもそれを自分で認めることすら怖かったし、ましてやそこに飛び込んでいく勇気がなんてなかったのだ。

自分を不確実性という宇宙のような果てしない空間に無条件で投げ出すことが本当に怖かった。大学生のころは常にその恐怖に怯え、蓋をしながら、現実から逃げるように遊び回っていた。そして自分が今からやろうとしていることも、正直に言って本当に怖い。

自分がやりたいことはなにかということを純粋に突き詰めて考えれば考えるほど、それが金にならないということに気付き始めている。
きっと、十代の頃には既に私は自分がこういう人間であることを既にわかっていたし、それゆえに自分の本当の望みを認めたくなかったのだろう。
専攻分野への興味を失ってもなお、偏差値の高い大学に卒業までしがみついていたのは、そんな現実から目を逸らしていたかったからだ。

そして、それからいろいろな寄り道や紆余曲折を経て、私はすっかり馬鹿になってしまった。やりたいことをやろうとか、本音で発言して行動しようとか、そんな馬鹿げたことを平気でするようになった。
それは、今までのように自分を押さえつけてギリギリ「普通の人間」のふりをして真っ当に生きることに限界を感じたからだ。自分ではない人間のように振る舞うことはもうできなかった。

誰かが答えを持っているなんてことはなく、誰かが私を救済できるなんてこともない。
不確実性と不可能性あふれる世界で、もし仮に何もうまくいかないとしても、目標に向かって歩みを進めること以外に出来ることがない。普通の人にとって重要な「安定」とか「人から良く見られること」とか「幸せ」とか、そういうものを投げ捨てること、それはすなわち本当に馬鹿な生き方だと思うし、そういう人生をまさに今私は選び始めてしまっているんだ、ということに気付いた。

お酒に酔っているわけでもないのに最終電車に乗るのはなんだか不思議な気持ちだ。

珍しく冴えた頭で乗っている終電の車両に揺られながら、きっちりと家の最寄駅で降りる。
確かな足取りで家に帰っている間も、Airpodsから「自分史上最高にエモい曲」リストがずっと流れている。

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