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愛の居どころ

きっかけがあって、およそ1か月前に自分が書いた記事を読み返してみた。

なんだかいたたまれない気持ちになってしまった。なんか凄い病んでるなと。

でも無事に今年も歳を重ねて、晴れて24歳になった。来年はアラサーの仲間入りらしい。でも25歳と29歳は全然違うだろ!と思ってしまう。一緒にするんじゃねえ!

それはさておいて。
上記記事の中で私は特大の母親コンプレックスを吐露していて、自分の中に存在する愛の居どころが分からなくて、愛されることも愛することもまだまだ初心者なのだと確信していた。人はきっと、生まれてからまず最初に受けるのが母親からの愛だと、私は思う。きっと私も生まれた瞬間は母にとって愛しい存在であったはずだ。と、思いたい。きっとそうだったはず。いや、どうかな。わかんないや。

でもそこで本来母から受けるはずだった愛は、祖母から受け取っていた気もする。それが似て非なるものと分かっていても、血縁でもない私を、祖母は一生懸命愛情をもって育ててくれていたと思う。だから過度に愛に飢えている自覚はあまりなかった。

けれどこれまでの自分の恋愛だとかを思い返してみると相当拗らせているなとは思う。あまり具体的な話はしたくないのでしないけど歴代の恋人から「俺からフることはないから」と言われて十中八九「重い」とフラれた。どうやら重いらしい。好きなまま別れた人もいたし、大嫌いになって別れた人もいた。どのパターンで別れても私は割とネチネチしてしまうタイプなのでたまにSNSを確認したりする。いつかの元恋人は、私と別れてからまだ一度も恋人ができていない。逃した魚は何とやらだな!!私もyonigeみたいにアボカド投げつけてやればよかった。

愛されることも難しければ、愛することも容易ではない。何もかもが難しい。愛の教本も講習も何もないから、人は親や友達、恋人から愛を教え教えられて生きていく他ない。親も恋人もいない私は、友達からの愛を勘違いすることもあった。恋と自覚していたそれを「勘違い」なんて呼ぶのは少し悲しいけれど、愛に飢えていた化け物だったので。ただ、今は違う。

みなさんあのね、ついこのあいだ、私にも恋人ができたよ。

私のことを愛してくれる人。家族でも友達でもない。
私に愛を教えてくれる人。私の持ち得る限りの愛でいっぱいにしたい人。

歴代の恋人たちに「こんなに好きになる人いない」なんて思ったことは正直ないのだけれど、それが今の恋人なんだろうなと思うわけです。浮かれてるだけなのかなとも思うけれど。愛され下手で愛し下手な私に、ただ真っすぐ向き合ってくれる今の恋人に、毎日幸せとは何たるかを実感させられている。嬉しい。恋人は毎日必ず「愛してる」と言葉にしてくれる。それが私にとってどれだけの安心感を与えてくれているのか、どれだけ愛されている実感を抱かせてくれているのか。きっと恋人が想像しているより何倍もそれは大きい。

恋人が思っているよりずっとずっと、私は恋人のことがどうしようもなく好きだ。私はこの人を愛しているのだと明確に、自覚できる。自分の愛に嘘が無いという安心感さえあるのだ。それはこれまでになかったもので、感覚としては最早初恋に近い。恋をしたのも、交際経験も初めてじゃないはずなのに、まるで初恋のように毎日どきどきして、小さなことでも心が躍っている。この人が私の恋人になってくれて、私を好きになってくれて、私と出会ってくれて、本当に良かった。私の、手もち無沙汰になっていた愛の居どころは、ここにあった。あってよかった。

ただ、恋人の邪魔にだけはなりたくなくて、今後もし自分の存在が恋人にとってのストレスになるなら、私は泣きながらでもこの手を離さなきゃなと思っている。愛や恋に固執して生きることが、自分にとっても相手にとっても窮屈であることは何となくもうわかる。私ももう、何も知らない子供ではないから、いいこともいやなこともたくさん知ってしまったから。わがままなだけの自分勝手な愛は、もうおしまいにしたい。今の恋人とずっと永く一緒にいるために、かわいいわがままだけが言えたらいいな。欲張りな私も愛してねなんて到底言えはしないけれど、私にとっての愛の居どころがあなたであるように、あなたにとってのそれも、いつでも私であれたらいいな。

私に愛をくれたあなたに、同じかそれ以上のお返しができるように、これからも私をそばにおいてね。私があなたをこんなに好きでいること、あなたはきっと知らないだろうけど。


それと、最近新しいコンテンツに手を出してみたのだけれど、そこで居心地のいいコミュニティができて、いつまでもこの場所にいたいなとか思っていたりする。嫌なものを度々目にするので、もうインターネットやめちゃいたいとか思っていたけれど、なにも悪いものばかりではないみたい。あったかい場所は、スマホの向こうにもちゃんとある。実家の匂いがする場所。そこにはいつでも温度があって、私はこの間少し泣いてしまったわけ。あったかい、いつもありがとう。ここもきっと、私の愛の居どころ。

前述した記事を書いてから、たった1か月で私は沢山のものを得て、抱えていた母親コンプレックスも小さくなった気がしている。お母さんがいなくても24歳になれたから、これから先も私は私が思う幸せの中で、私の大好きな人たちと、いつか死んでしまうその時が来るまで生きていようと思ってるよ。

私はきっと一人じゃないし、抱えた愛だってもう宙ぶらりんじゃない。私はそれなりに大人になったよお母さん。あなたもきっと、元気でね。

母を忘れて、大好きな祖母への思いをいつまでも胸に抱えて、友達の幸せを願って。

それから、恋人を想って、愛を考える。


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