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完全他人軸で生きていた頃に起きた、最悪な出来事を思い出す

先日友人たちと自分のヒストリーについて話していて、他人軸で生きていたころに起きた出来事について思い出しました。

今から15年ほど前、小さな貸家暮らしを愉しんでいましたが、大家の奥さんが鬱になり状況が一変しました。


そのかたの悩みに共感して聞いたことが始まりだと思います。
この人なら何を言っても大丈夫と思われたのでしょう。
徐々に不満のはけ口になり、つじつまの合わないことや賃貸に関係しないことまでを昼夜構わず怒鳴り込んでくるようになりました。


わたしは身の危険を感じてふるえていました。小さな息子をどう守ったらいいのか、嫌がらせをかわすためにどう対応したらいいのか考えても分かりませんでした。

夫と相談して引っ越ししようと決めたのですが、違う賃貸に住むのか、引っ越すなら家を買ったほうが良いのか…。

もしも家を買うなら、親たちへ相談したほうがいいのかな…。
だってわたしたちは長男長女だから…と、どんどん大事にしたかったことから逸れていきました。無自覚に。

どちらの両親も一緒に住みたいと言ったときには、みんなで一緒に住んでしまえばいいさと思っていました。

だけどそれは表面的であって、心の底からではありませんでした。
だから義父母が「自分たちの生活のリズムを大事にしたいから、近くにいてくれたらそれだけでいい」と言ってくれたときはホッとしました。

実父母が一緒に住みたいと言ったときには、やっぱりそう来たか…と思いましたが、実家を建て替えて二世帯住宅を建てるなら、土地を探したり買わなくてもいいメリットがあり、早く引っ越したかったわたしにはプラスマイナスゼロと感じていました。

どうしたいか(自分軸)ではなく、この状況を乗りきるためにどうするべきか、何が正しいか(他人軸)という思考で動いていました。


そうしてハウスメーカーもいれての家づくりが開始。どんな間取りにするか、どのハウスメーカーにするかがほぼ決まりかけていたとき、事件は起こりました。


父が「この家はやっぱり壊さない」と言ったのです。

頑張り続けていたわたしの、頭から心からつま先までパンパンに張りつめていた糸がプチっと切れて怒り、泣きました。

今ならば父の「建て替えなら負担少なくできると思っていたのに、そんなにかかるなら、いっそ白紙に戻したほうがいいのでは」という迷いや想いを覗き見ることができます。

だけど、自分のことを理解していなかった当時のわたしは、父のことも母のことも全く理解できませんでした。

やっぱりわたしは愛されていない…。

それをただただ突き付けられた気がしました。



その出来事が、自分が本当はどんな家に誰と住みたいのかを夫と一から考えるスタートとなりました。

今の家と出逢えたのも、この土地と出逢えたタイミングも、このときの遠回りあってこそ。
当時は本当に大変だったけれど、人生に無駄なことなんてないって心から思えます。


友人たちに話を聞いてもらいながら、自分不在のまま、駆けずり回っていた当時のわたしを抱きしめることができました。

目の前の人への理解は、自分の理解と比例している。
自分と繋がれた深さだけ、目の前の人とも繋がることができる。

対話を教えてくれた師の言葉ですが、身をもって実感しています。


《問い》
自分の声に日々、声を傾けていますか。
自分のことを、どれくらい理解していますか。






自分を大事にする時間や、暮らしを愉しむ時間を共に過ごすコミュニティ《Inner Peace Circle》の募集開始が間もなく始まります。

現在参加してくれているメンバーの声やインピサ(Inner Peace Circle)の詳しい内容は、Instagramへ投稿していますので、気になるかたは覗いてください。


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