娘 学校の先生になるってよ
先日大学を卒業した娘は、4月から公立高校の英語教師になる。
小学3年生の終わりから、卒業するまで、行けたり行けなかったりの繰り返しで、色々なことが楽しめなくなってしまったけれど、唯一出来ていたことが、ベネッセの英語教材だった。
一定時間、英語の発音練習をしたら途中英語ゲームも入っていてクリアしたら、アイテムが増えていくようなものだったと思う。
本当にこれにはお世話になって、中学になるまでには、更に中級者用、上級者用と進んでいけたほど、はまりまくっていた。パソコンにCDRを入れて映像で見ていましたが、これには一切の制限をつけず、好きなだけやらせていた。
発音がバイリンガル並みに綺麗で、私立中学に入ってからも、英語の先生に恵まれ更に好きになる。それはそれは大変でしたが…
英語は変わらず大好きで正直私は、学校には不信感もあり、娘も小学校で学校に対するトラウマができてしまい、足を踏み入れられなくなってしまったこともあるので、まさか学校の先生になるとは夢にも思わなかった。
高校でも、グローバル育成プログラムに参加して海外に行ったり、単独で2週間のニュージーランド語学研修に参加したりと、英語熱は加速した。
大学は語学に強い私立大学で学び、2年生でフィンランドへ留学。3年生から一応取っておくと、教職課程も取った。
教師になるのは夢だったわけではない。ただ、好きな英語がもっと勉強したい、将来は英語を使える仕事が出来たら…と夢はまだ漠然としていた。
大学に入って、中学生の男の子の家庭教師をするようになり、教えることの楽しさを感じたのと、高校の時の大好きな英語の先生から、先生になったらいいのに!と言われたのも大きな理由らしい。
普通の就職活動はしたくないと言っていて、宣言通り何もしていなかった。ワーキングホリデーで渡航するのもいいんじゃないかなと思っていた。
3年生では、一応教職の単位を取ると言い出し、勉強していく中で何年続けれるかは分からないけど、一度先生を経験してみるという結論を出したようだ。
それも、縁もゆかりもない、他県の教員採用試験を受けると言うので、地元で受ける人と同レベルだった時に、理由が明確でないと採用は厳しいかもねと夫と話していた。
でも、だめだった時はワーキングホリデーで渡航しようかなと言っていたので、本人のやりたいようにやらせていた。
結果は合格で、赴任先が決まったのが、3月半ば。
家探しに、母は当然一緒に行くつもりだったけれど、1人で大丈夫と不動産屋に入ったこともないのにまさかの発言。少し心配だったけれど、少しアドバイスをして、信じて行かせた。1泊2日で1人で不動産へ行き、2日目に良さそうな物件を契約してきた。
翌日は卒業式。2日後には引越しと言うバタバタの日々が続いて、当日必要な荷物を車に積んで、夫が数時間かけて送り、最低限必要な家電や小物などを揃えたら、翌日夫は1人で帰ってきた。
自分がどんな気持ちになるのか、全く分からなかったが、前日の夕食と、翌日の見送りは寂しくて泣いてしまった。
不登校の頃の、先の見えない不安の涙とは違うけれど、わたしにつられて娘も泣いてしまい、結婚する前日みたいだねと笑っていた。
人一倍頑張り屋の娘なので、「頑張ってね」の後に、「頑張り過ぎないでね」と言った。
当時は、普通でよかったのに…何ではみ出しちゃったんだろう…と、とても辛かったが、今は必要な時間だったし、その分他の親よりは一緒に過ごす時間が多かったと思っている。
引越しの前日
「なぜここじゃだめなんだろう。ここで就職でもいいのに…」
と、ホロっとなっている時に聞くと、「もう十分愛情をもらったと思っているから、今まで心配をかけた分、自立しようと思えたんだよ。人に優しく出来るのも、お父さんとお母さんが優しいからだと思う」
と言ってくれた。
「お母さん、優しいかな…またきついこと言っちゃったって思いながら、すぐ反省しても謝れないこともあるし…」
娘は、そんなこんなも分かってるよという眼差しで頷いていた。
それでも、娘の選んだことは全力で応援したい母なのでした。