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自戒:瞬時に全てを見透かす人になれるのか?

創作物や偉人の伝記などを読んでいると、初見で他人の本質を見抜くキャラクターやエピソードに遭遇することがあります。一流の人間ならばそれが可能という思い込んでいるのか、ついつい三流の私も同様に振舞ってしまいます。「この人はこういう人だから…」と他人の評価を軽々しく語ってしまったり、ちょっとした発言や行動で「この人は信頼できないな」とジャッジしてまう等々です。

タイトルにある「全てを見透かす人になれるのか?」という問いに対する現段階での答えはNoです。少なくとも三流の私にとっては。。。むしろ、ある事象や人について、即断しないという態度こそが重要なのではないかと最近思うことがあったので、自戒をこめてここに記していきます。

即断は楽。思考停止できるから。

私が直面した現実

私が今ビジネス上で関わりのあるTさんのことを、私は信頼できずにいました。
主な理由は以下です。

①私の名前を間違える
②私が伝えたことを覚えていない
③私のアウトプットを基本的に認めない(そのアプトプットを別の上司に見せると絶賛されたりする)

①と②により私は「この人は人間として信頼できない」と決めつけ、③により「相性が合わないので、他の人と仕事したい」と思うようになっていました。

しかし、これらの判断が仮に正しいとしても、そこには何の価値もないのではないかと気づかされる出来事が2つありました。

教訓:自分の成長の機会を放棄してはいけない

1つ目は、多文化共生についてのあるコラムを読んでいた時のことです。そのコラムの中で、文化の差異による紛争の根本は「この人とは分かり合えない」と自分の中で線を引いてしまうことだとありました。たしかに、私はKさんい線を引いてました。そして、線を引く行為がいかに楽なことかということについても改めて気が付きました。この人は信頼できない、と線を引いてしまえば、自分を変える必要がないためです。相手の言動に想いを馳せる行為や、自分を変える努力にはコストを要します。それを避けるために、それこそが最も必要なことだという現実から目を背けるために、見抜いた気になって「この人はダメだ」とジャッジしているのかもしれません。

別の言葉で記すと「この人はダメだ」と思いたいから「この人はダメだ」と思っているのかもな、、そういう風に考え始めのたです。


一流は他人ではなく、自分に目を向けている

2つ目は、私の大好きなお笑い芸人のナイツさんの下積み時代の記事を読んでいる時です。ナイツのお二人が若手時代に、事務所の社長から浅草の漫才協会に入るよう命じられたことを有名な逸話です。しかし、当時のナイツさんはそれが嫌だった。なぜなら、比較的高齢の方が訪れる漫才協会の寄席ではなく、テレビなどを主戦場としたいと考えていたからだそうです。

しかし、ある時から心を入れ替え、毎日1本ネタを作り、年間500から600の舞台を踏むようになります。そこで、高齢の方にも受ける「わかりやすい漫才を確立」を確立したそうです。

一流の人は他人を評価する前に、自分を厳しく評価していると学びました。


まとめ

・出来事や他人について即断せず、考え続けるという態度が必要
・他人ではなく、自分に目を向けた方が、結果的に自分の+になる



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