子どもの遊び
子どもに賢くなって欲しい。
運動ができるようになって欲しい。
そんな願いのある親は多いのではないでしょうか?
私自身は
どんな子も得意不得意がある。
よさがそれぞれなのがいいじゃないか。
という思いが強いものの、
子どもの発達や教育について学んできた身として
最近の子育て環境には
「何だかなぁ...」「凹むなぁ...」
と思うことが多々あります。
子育てが始まってから8年くらい。
子どもも4人いるので、公園には散々お世話になっています。
公園にいると、どうしても聞こえてくる他の親の声、どうしても見える園内の看板や貼り紙。
「滑り台は上から滑って!」
「危ないから棒はダメ!」
「順番守りなさい!」
「次は○○やりなよ」
「お洋服汚さないようにね」
「汚れるから水は無し!」
指示や命令、禁止がとても多い。
お砂場遊びですら
「ホットケーキを作ろう!」
「牛乳入れて、お粉入れて...」
ああして、こうして、これして、あれしてと
指示の連続...
公園に遊びに来たんじゃないの〜?😭💦
私も場合によっては
「やめよう」という時もあるけれど、
子どもの遊びを指示したり、禁止したりは
なるべくしないように心がけている。
だってそこから色々学んでるのに
もったいない。
滑り台は上から滑る遊具かもしれないけれど、
子どもにとって大人が作った意図など知る由もなく、関係もない。
発想が自由だ。
そして発想の問題だけじゃない。
もっと重要なのは、
遊具も自分の体も
思いつくままに色んな使い方をするからこそ
さまざまな感覚を使って運動発達が伸び、
それを土台に知的な発達が伸びる。
子どもの、外界と接することや自分の体を動かすことへの興味・関心・意欲を
「危ないから」で遮るのではなく、
子どもが何をしたいのか?
どう動きたいのか?
まず観察して欲しい。
静かに見守ってみてほしい。
『小さい子が近くに来そうだけどうちの子気が付いてないかも?』
そんなときに「後ろに小さい子が来たよ」と声をかけてあげたり、
子どもが自分でやってみたけど(例えば遊具にチャレンジしたけど)落ちた!その瞬間に手を添えたり、
近くの大人がそういうサポートができたら
子どもは安心しながら目一杯遊んで、
自分という体を使いこなせるようになっていく。
知育おもちゃとか、早期教育とか、
そういうことの前に、
自分の体を思い通りに動かすことこそが大切...
これは心理学や脳科学でも前から言われていること。
人間はそういう進化を遂げて脳が発達しているんだから、ちゃんと順番がある。
(もちろん人間は十人十色なのでたまに早期教育がピッタリはまる子もいるけれど...)
小さなうちに経験しないでいつやるのか?
小さいうちから頭を使わせようとさせてしまったらどうなるのか?
自分の体を目一杯使ってこなかった人がどうなっていくのか?
その場その場のことだけを考えてしまうと
つい口や手が出てしまうけれど、
もっと長い目で見なければならないと思う。
(そもそも教育とか子育てとは長期的なものだろう)
都市部に住んでいたとき、
たまに夕方の公園にいると中学生たちが学校帰りにやってきて、「3〜6歳対象」と書かれた遊具で鬼ごっこなどを始めることがある。
対象年齢とか、鬼ごっこをすることに対してどうこう思ったのではなくて、
その遊具を使う小さな子たちが近くにいてもお構いなしに大きな足音を立て、
ぎゃーぎゃー騒ぎながら、
小さな子の側ギリギリを障害物を避けるかのように全力で走り回るその様子に、
正直血の気が引いた。
この年齢の集団で、誰一人周りに(自分より小さい子に)配慮できないことに。。。
(一人くらい「小さい子がいるからここじゃなくて違うところに移動しよう!」という子が居てもいいのではないか?実際こう言って移動する子たちもいるし。笑)
子どもの頃、思う存分やりたいことをやらせてもらえなかったのかもしれない...と考えてしまった。
もちろん、私自身も日々反省と試行錯誤の連続で、偉そうなことは言えない😞
(そもそも毎日いっぱいいっぱいすぎて私の場合生活の場面でプンプンすることも、いっぱいあって...本当ダメな母親だ😭って反省の毎日でもある...)
ただ、この前公園でブランコをしていた7歳の娘が面白いことを言った。
最近ブランコを限界まで漕ぎ
(ブランコの紐が緩むほどの高さまで漕ぐ)、
その後そのスピードや遠心力を使って前方へジャンプするあそびが好きなのだが、
誰もいない朝の公園で、娘に
「お母さん見てて!」
と言われたので見ていたら、
飛距離が伸びていた。
私は娘に
「飛ぶ距離が伸びたね!」
と言うと、
娘はすぐに
「(ブランコから離れる時の高さを)高くしてるの!いつもは他の人がいるから低く飛んでる!」
と話してくれた。
親バカであることも否定しないけれど、
「本人のやりたいようにたくさん遊ばせてきてよかった。」と親として思えたし、
発達や教育の専門家としても
「周りを見て加減ができるんだな。」
と思った。
この「加減ができる」は自分の思うところまで自分の体を使ってみなければできないことだと思う。
大怪我は困るけれど、
怪我は悪いことじゃない。
多少の怪我や失敗経験があるからこそ
自分の思うことと自分の体の連動がより上手くできるようになるから。
4人の子を見てきて私の感覚で思うことは、
特に0〜1歳、自分で立つまでの発達をまず邪魔しないことが大切だと思う。
座位を自分の力でできるようになるまで待ってあげた?
立位も、親が疑似体験的に立たせて歩かせたりせず、自分の力で立つまで待ってあげた?
親が座らせちゃったり、立たせてぴょんぴょんさせちゃったり、ウォーカーに乗せちゃったり...
全部しない方がいい。
本当に自分のペースで外界と自分の体とのバランスを学び、自分で育つから大丈夫。
ちなみに、口に物を入れるのも止めないほうがいい。
触覚という刺激を脳が認知している、その機会を奪わない方がいいし、生活空間の常在菌も取り込むことになるからより元気な体に育っていけるのだと思う。
(ただ、特別支援教育を学んできて、明らかに運動発達や知的発達に遅れがありそうな時は療育を受けることはひとつの手だと思う。そのときにセンスのある心理士を見つけてほしいと思います。合わないなと思ったら合う人を探してみてほしいし、機械的な療育でなくて、子どもの心に寄り添えるところを探せたらいいと思います。)
そして〜2、3歳ごろまで、
体を使うときになるべく近くにいて危ないときにサポートしたり、本人がやりたいことにできる限り付き合ってあげたりできるといいと思う。
そこまで見てあげられたら、
その後は自分達でかなり動けるようになる。
何か一瞬危険に見えることがあっても、自分の力、体で、自分で対処している。
本当にたくましく育ちます。
(ひとつ余談ですが、生まれてから立位までの育ちについて、人格形成にも影響するという知見もあります。私も感覚的にありえるなぁと思うし、妙に信憑性がある。なので、この時期にも大人があれこれ介入してしまうことはやはり子どもの育ちにはマイナスなんじゃないかな?と個人的に思います...)
私たち大人の感覚では感じ取れない程の凄まじい発達の途中。
私たち大人ができることは、
「邪魔をしない」ことなのだと
最近痛いほど感じ、自分にも言い聞かせています。
それと同時にたっぷり愛情を注いであげられたら、最高なんだろうな。
見守るということもそのひとつだろうし☺️✨
と、
子どもの遊びのことを熱く語ってしまいました😂
今度は食のことや出産のことも書いてみよう。
あと教育のことも!😆
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?