ちいさなものの集まり

私が放送作家駆け出しの80年代は、アニメ映画とラジオがガッチリ組んでいた。当時インターネットなんかないから、サブカルチャー的な新しい情報はラジオが一番早かったのだ。
ちなみに、当時のサブカルチャーという言葉は、その前の70年代的「カウンターカルチャー」のような政治性や攻撃性はない。といって、のちに略語となる「サブカル」ほどマニアック、オタク的な狭さもない。正統派・教科書的・重厚長大に対する変則派・趣味的・軽薄短小のようなくくりかただった。

当時は「宇宙戦艦ヤマト」から始まる松本零士ブームの後半。劇場用長編アニメ映画が公開されるたびに、公開前夜にオールナイトニッポンで特番があった。
駆け出しの私は、ほぼ月に一回それを担当した。アニメ映画をラジオドラマ用に脚色したり、2時間あるいは4時間の番組全体の構成をしたり。
「銀河鉄道999」「宇宙海賊キャプテンハーロック」「1000年女王」「幻魔大戦」「サイボーグ009」…などなど。毎回、プロデューサー・ドン上野ひきいる若手作家チーム6~7名がとっかえひっかえ担当。私はその中の一人だった。

一方で、当時ミニFMブームというものがあった。これはごく狭い範囲でFM電波を飛ばして、周囲でラジカセでそれを受信し、ミニミニラジオ局遊びをするというもの。
現代でいうと、ネットラジオやPodcastのようなものだ。

ニッポン放送はこのシステムを使ってイベントをはじめた。つまり、会場にでっかいPAを置かず、マイクで拾った音をFM電波で飛ばす。集まったお客さんは持参のラジカセやウォークマンなどでそれを受信してヘッドホンで聞く、というもの。喋りも歌も、そのままカセットに録音できる。
その頃ウォークマンブームで、多くの若者が戸外でヘッドフォンをつけて音楽を聴く習慣が始まっていたので、タイムリーな企画だった。

当時、私たちのチームはイベントで、アニメをラジオドラマに脚色してお客さんの前でナマで演じたりしていた。それをFM波で飛ばし、お客さんに受信してもらう。すると、それぞれ自宅で一人でラジオで聞いていたのと同じ感じで聞けるし、録音もできる。それを会場に集まった多くの仲間と共に体験できるのだ。
ドン上野に、
「なにかいい名前はないか?」
と言われたので、
「ラジオでアニメを聞くんだから、ラジメーションですかね?」
と答えた。以降、これは「ラジメーションシステム」と呼ばれることになった。

新しモノ好きの大瀧詠一さんはこのシステムを使って、PAを置かない「ヘッドフォンコンサート」なるものを実施した(当時まだ、私は大瀧さんと知り合っていない。このあと、一緒に仕事をすることになる)。

1981年夏、「さよなら銀河鉄道999」というアニメ映画が公開されることになった。例によって公開前夜、オールナイトニッポンの特番が組まれた。なんと4時間!
この時は、銀座の「丸の内東映」(現「丸の内TOEI」)という映画館にリスナーを集め、特番終了後そのまま、公開初日の映画を繰り上げ上映するという趣向。この会場で「ラジメーションシステム」を使ったのだ。

その時の台本。懐かしい名前が並ぶ。

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