記憶は簡単に捏造される
時々、過去に私が書いた小説やドラマやエッセイのことを思い出してくれる方がいて、
「藤井青銅のアレは、〇〇〇が面白かったなあ」
とか、
「むかし、藤井青銅が△△△△と書いてた(言ってた)」
なんて言ったり、SNSに書いたりしてくれる。
それはとても嬉しい。
嬉しいのだけれど、たまに、
「ん? そんなこと書いたっけ?(言ったっけ?)」
と思うケースもあるのだ。
〇〇〇や△△△△のところが、私の記憶とは微妙に違うのだ。いや、大きく違っている場合もある。
(この人、なにか勘違いして記憶してるな)
とか、
(それは私じゃなく、他の誰かじゃないのか?)
なんて思ったりもする。
もっとも、ずいぶん古い作品だと、私の記憶の方が間違っている可能性もあるのだが。
こういうとき私は、以前、知り合いの女性に聞いた話を思い出す。
彼女はある日、都内の有名なホテルのラウンジで午後のお茶を飲んでいた。ふと気がつくと、周囲には中年の管理職っぽい男性と若い女性の組み合わせが多いなと思った。仕事の合間に休憩に来ているのだろうか。
(どんな話をしてるのかしら?)
と聞き耳をたててみると、「女房とうまくいってない」というような言葉が聞こえた。(ふ~ん、そうなんだ)と思って、別の似たような組み合わせの男女の会話を聞くと、やっぱり「奥さんとうまくいってない」と漏れ聞こえてきた。
……と彼女が話してくれたエピソードが面白く、私は、
【昼下がりのホテルのラウンジには「女房とうまくいってない」という言葉があふれている】
というコラムを書き、『宇宙の法則』という本に入れた。
後日その本を、元ネタの情報をくれた彼女にプレゼントし、
「ありがとう。あなたの話のおかげでコラムが一本書けました」
とお礼を言った。
ところが彼女はそのコラムを読んで、驚いたのだ。
「私、こんなこと言ってないですよ」
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