超鑑賞術「天気の子」を観る。新海誠はやはり宮崎駿にはならない。

天気の子の放送を観る。
事前情報ナシで期待せずタダで観たので、思ってもいないラストで夫婦ともに驚かせて貰い無料の割には楽しめた。しかし、金払って観たらキレるし、DVD買ってるヤツの気がしれない。

恐らく新海誠という監督は男と女が出会って好きあってるがそれをキチンと伝え合えないもどかしいひと時は描きたいが、それ以外は別にどうでも良いんだろう。
過去作から舞台が宇宙だろうがその辺の公園だろうが一貫して男と女の淡いひと時みたいなのしか描いて来なくて、君の名はも話の核はそう。
その核に、色々と盛り上がる要素を切り貼りして作った感がすごかった。物語としてまとまってないというか。

宮崎駿が引退するし次のスターアニメ監督を作りたい映画界に祭り上げられ敏腕プロデューサーと一緒に映画的なダイナミックさ溢れる話に仕上げたら思った以上にヒットしてしまったというのが実際のところだろう。
男女が入れ替わってドタバタやるだけならテレビ特番レベルなので、映画っぽく隕石落としたり町を救う話にしたりして山場を作るのは急過ぎて笑ってしまったが、一緒に観に行った女はそこまで考えてないと言って楽しんでいた。それが正しい楽しみ方でもある。

取ってつけたような町を救う話はハリボテ感が凄いが、魔女の宅急便も似たような構造。
元は婆さんのとこかなんかに届け物して、ハイおしまい、という話を宮崎駿が書いたが、プロデューサーの鈴木敏夫さんに「これじゃ映画にならんから山場作って」と言われて書いたのがラストの飛行船のシーン。
あれがあるから見終わった後のスッキリ感、満足感に繋がる。

紅の豚も、元は15分の短編で、冒頭の子供達を豚が助ける話だけのつもりだった。宮崎駿としては長編は疲れるので短編なら、というつもりで好きな戦闘機の作品を描いていたが、鈴木敏夫さんに「何で当たり前のように豚が人間みたいにいるの?」と指摘されて、その辺の説明するために30分の短編に仕切り直したが「豚になった説明も描いて」と言われて60分になり「ここまで書いたならいっそ90分の長編にしてよ」と結局長編映画を作るハメになったと、ラジオで語っていた。

そう言われて観ると冒頭は冒頭でそれなりに完結してるし、継ぎ足したと言われるとそうも見える。しかし最後のライバルとの空戦とかは熱いし、一本の映画としてキチンとまとまっており、見応えがある。

天気の子も、多分「アクション入れろ」と言われていきなり就活生にカーチェイスみたいなのやらせたり、女を助けるために走らせたり、映画っぽいシーンを散りばめさせられたんだろうなーというのがすごく伝わる。

宮崎駿との違いは、多分自分の中の引き出しを自分の作品に昇華させる力量やセンスの違いだと思うが、新海誠は各シーンのハリボテ感がどうしてもする。中身がない上っ面というか。

宮崎作品は主人公が走る理由も、何かアクションシーンが発生する理由も、敵と戦う理由もきちんと物語に落とし込んであり、観ている側が「がんばれ!走れ!」と応援したくなるだけの段取りをして、そのシーンに入る。

天気の子は走り出した時に「走れーっ!」とわざわざキャラに言わせていたが「ええー?何やってんのキミ」とずっと思っていたし、すげー周りに迷惑かけるし、感情移入出来ないま
まエンディングまで突っ走られてしまった。

東映で鍛えられた宮崎駿と、綺麗な絵を描くのが趣味の新海誠の土台の差なのか、構成力の差なのかわからないが、プロデューサーもよくあれでOKしたな、という感じだった。
昔からの新海誠ファンの嫁も「あー、こんなんになっちゃったかー」と呆れて、昔を懐かしむ始末。

昔の、コアなファンだけ観てくれたら良いよーという新海誠の本当にやりたいことだけを映像にしていた時代ならまとめられる力があったんだろう。そんな大それたこと出来る力もないのにジブリっぽい大きな話をやらせようという映画界の犠牲になってしまったのか、しかし出来ないことは出来ないと言った方が良い。もしくは出来る人をブレーンに呼ぶか。

ジブリは年に一回の合宿で夜な夜なみんなで最近の面白い作品について話し合う場があり「コクリコ坂から」もそこで宮崎駿は知った。
しかし全2巻のうち1巻しかその場になかったので、みんなで1巻を読んで「続きはこうなるんだろう、ああなるんだろう」と一晩中語り合って、後日続きを読んだ宮崎駿がスタッフに「全然違うじゃないか!」とキレたというエピソードがある。
こういう、物語をあれこれ膨らませる想像力がやはりツギハギ感が出るかどうかの差だろうか。

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