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ピアスをいっぱいあけていた話

肉体を痛めつける表現を含んでおります。苦手な方は、引き返すことをお勧め致します。どんと来いやの方は、そのままお進み下さいませ。

現在、私の耳にはピアスが5つ、常に装着してある状態です。
うち3つが耳たぶ、いわゆる「イヤーロブ」と呼ばれるもので、あとの1つは「ヘリックス」、普通のありがちな軟骨ピアス(但し拡張したため、太めの8ゲージ)、もう1つも軟骨ピアスだけれど場所が少し特殊な「ダイス」と呼ばれる部位のピアス。
…これだけで十分にやべえと感じる人は既に居られるかと存じますが、まあ聞いてください。

事の始まりは16歳。元々ピアスに憧れはありましたが、校則を破ってまでするつもりは毛頭ありませんでした。しかし、高校を中退するにあたり、もう校則など気にしなくていいんだ、と思った私は、母にピアスを開けたいので、皮膚科に連れて行ってくれと頼み、母も特別反対することもなく、自分で勝手にやられるよりは病院であけてくれたほうが、という気持ちがあったのでしょう。皮膚科で、耳たぶに1つずつあけてもらいました。

当時、アヴリル・ラヴィーンが世を席巻しており、私はアヴリルみたいにしたい!可愛い!と、自分なりになりたい耳を思い描いていました。アヴリルは、その頃は耳に3つくらいあいてたかな?今どうなっているのかは全く知りませんが。
私は嬉しくなってしまって、次は…確かピアッサーを自分で買って、耳たぶに開けたと記憶しています。

ピアッサーを買う際に、ピアッサーにも色々な種類があること、あけるにあたり、様々な部位があることなどを知り、軟骨かっこいいな、と思いました。ネットで調べてみると、「軟骨は痛い」との記述が。ほほう。…当時、私は少しばかり自傷行為などもしていたので、なんというか、痛みの感覚がズレていました。どの程度痛いのか。試してみよう、どうせかっこいいんだし、と。
軟骨用のピアッサーで、ガシャン。…痛くない。こんなもんかあ。でもなんか、やってやった感、爽快感。色んな感覚を覚えました。

ファーストピアスでなく、ボディピアス専門のショップで、リング状のピアスを買ってみるなど、色々こだわるようになりました。
田舎で殆ど遊び場らしき遊び場すらなかったのに、なぜそんなニッチなショップはあったのか。未だに理解に苦しみます。
ボディピアス専門店には、様々な部位にあけている店員さんが揃っており、行くたびに新たな発見がありました。私にとって、とても刺激的な、学び舎でした。
その頃からもう既にアヴリルから遠ざかっていってますが、そこはもう気の赴くままの私です。
…口ピアス用のピアッサーを見つけ、おお、これは、と、軽い興奮を感じ、軽率に購入。…流石にドキドキしながら自室であけました。…痛くない。可愛い。凄い、こんなに簡単に自分が変わる、なんだか無敵。
母に、「でっかいホクロができちゃった!」と見せに行ったら、絶句されました。そりゃそうだ。

ピアッサーを買ってはガシャン。買ってはガシャン。そうしてどんどん耳にはピアスが増えていきました。
耳の中で自分のあけたことのない部位があれば、どうしても攻略したくなり、名称のついている部位は最終的には全てあけ尽くしました。
どうしても、自分では開けにくい部位の時は、形成外科へ行き、ニードル(専用の針)で開けてもらいました。専門用語も、どんどん覚えました。
母は最初こそ何か言い諭そうとしていましたが、段々諦めの境地に入っていました。私もゾーンに入っていましたので、母が何を言っていたとかそこら辺のことはよく覚えていません。

…親友が亡くなったことを、ずっと引きずっていました。もうすぐ命日が来る。初めての命日。こわい。あの子が死んだ日。耐えられない。…入院中でしたが、とにかく居ても立っても居られなかったので、ボディピアス用のピアッサーを購入し、刻みつけるように、人差し指と親指の間の水掻き部分にガシャン。これでまだ自分を生かせる、と思いました。ハンドウェブと呼ばれる部位ですが、これがまあ生活する上で邪魔なことこの上なかったものの、5年くらい、この部位には開いてました。
こういう場所のボディピアスというのは、体が外に異物を押し出そうとするので「排除」と表現される現象、えーとまあ簡単に言えばどんどん位置が外側(皮膚側)にズレてきて最終的にポロリと取れる状態になるので、短い命です。
その度に開け直し開け直し、思い入れのあったハンドウェブにはこだわりました。
耳たぶは、拡張に拡張を重ね、4ゲージになっていました。ゲージとは、太さの単位で、通常のピアスの太さが18ゲージだったかな。数字が小さくなればなるほど太くなります。

段々と、眠れない夜は軟骨にピアスをあける習慣がつきました。その頃は、いちいちピアッサーを買う手間とお金を惜しみ、拡張器(先端が尖っていて、段々と太くなっているタイプ)でブッスと刺し、そのまま14ゲージくらい(目測)にグリグリと拡張し、すぐに14ゲージのピアスを入れるという実にヤンチャな方法をとっていました。これは痛かった、流石に。当たり前ですけど。でも痛みで逆にホッとして眠れるようになってました。狂ってますね。

引っ越しをしたら、ボディピアススタジオと呼ばれる、ボディピアスをあけることを専門にしている場所へも行ける距離になりました。
鎖骨の下にあけ、首の後ろにあけ、おヘソにあけ、おヘソの斜め上にあけ…

当時、ピアスはあきまくりで、目は虚ろ、食べていなかったためガリガリに痩せており、薬の副作用で震える手でカタカタとタバコを吸っていたので、外の喫煙所など使用している際は特に100%近寄ってはいけないやつに見えたと思います。

次第に、私の自分を痛めつけようとする欲求もピアスへの執着も、薄れていくようになりましたが、私にとってピアスが好きな自分、というアイデンティティを失うのが怖くなり、なかなか減らせずにいました。
バイトなどをするにあたり、着けたり外したりするのが面倒くさくなったのがピアスを減らしていく原因になったかなと思われます。なにしろ、最終的に両耳だけでも30個以上あいてましたので…。友人たちから「なんかの部族か」とツッコミが入ってました。
本当に気に入っている場所だけ残そう、と、断捨離しました。
断捨離し、断捨離し、断捨離しました。


そうして今に至ります。軟骨のうちの1つは、正直無くていいのですが、拡張してしまったのが塞がらず、大きな穴となり残った(向こう側が見えるくらい)のが気になり、じゃあピアスで塞いだらいいんじゃない?と思ったので着けています。なにかがおかしい気がしなくはない。
耳たぶは、親から「ビスケットみたい」と言われるくらいにはボコボコと痕があります。
そのせいで「ヤンキーだったんですか?」などと聞かれることがあります。どっちかといえばヒッキーでしたとも言いたくないので、なんと言ったものかと悩みます。


ピアスは、私の人生のうちの私の一部でした。苦楽を共にしてくれ、私を支えてくれたものでした。…いやそれ黒歴史じゃない?と思われる方もいらっしゃると思いますが、私は多分、ピアスがなかったらあの頃を生きてこられなかったと思います。
未だに、ハンドウェブのピアスを引っ掛け、痛い思いをする夢をみたりします。
確かにそこにあったのに、今もうそこにないピアスたちに思いを馳せる今日です。

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