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「ママ」と「お母さん」のあいだには 物事の終わりの悲しみと喜びがある



「ママ」か「お母さん」か



7歳と2歳の娘は私のことを「ママ」と呼んでいます。

長女が産まれた時、「ママ」か「お母さん」かで少し悩みました。


私は、母親のことを「お母さん」と呼んでいました。

幼い時も含めて「ママ」と呼んだ時期が一度もないのです。

それしか知らないから、小学校とかで「ママ」と呼ぶ友達に遭遇すると、

違和感を感じたりしたのです。

<なんか幼い>と軽蔑する気持ちと、

めちゃめちゃうらやましい気持ちもどこかであったと思います。


共働きで忙しかった母親。

お母さんに甘えた記憶がないのです。

両親も「おとなしくて手のかからない子どもだった」と言います。

本当はもっと甘えたかった。かまってほしかった。

お母さんからの愛を渇望していたのに気づいたのは大人になってから。


私にとって、「ママ」ってすごく甘えさせてくれるような、

距離が近くて、親密なものに感じていたように思います。



「ママ」と呼ばれて


出産した産院で、「ほら、ママですよ」と看護師さんが言ってくれて。

とてもくすぐったい気持ちで、

<ああ、ママになったんだ>と感じたものでした。


そこから私は、自称「ママ」だったし、

子どもたちからも「ママ」と呼ばれる存在になったのです。

そして、これからもずっと「ママ」であるのだと思っていました。



「ママ」と「お母さん」のあいだに


ところが、先日。

小学一年生の長女から

「ママってさ、お母さんって顔してるよね。」

と言われたのです。


内心ドキリとしました。

「どういうこと?」と聞くと、


「ママって髪がクルっとしててかわいい感じで、

お母さんってなんか優しい感じ」とのこと。


つまり、子どもながらに言葉を選んでいるけれど、

私の脳内ではこのように解釈したのです。

ママ:髪を巻くほどオシャレで、若くてかわいい

お母さん:身なりに気にかけていなくて、ママと呼ぶほど若くない

「優しい感じ」というのも、

よく旦那さんや彼を見せてもらった時に、オシャレでもイケメンでもない

場合によく使うお決まりのフレーズではないか。

娘なりに気を使ったのだろう。


つまり私が受け取ったのは、

ママと呼ぶほどにはもう若くもかわいくもない。

所帯じみてしまったおばさんだということ。


確かに、40歳になった。

外見にも加齢の影が色濃く出てきた。

白髪もあれば、老眼も始まっている。

オシャレなレストランよりスーパーが似合う。

もう「ママ」は卒業する時なのかもしれない。


ここで私が感じたものは、

「若さ」というものへの名残惜しさと、

「子ども」というものへの名残惜しさ



「若さ」というものへの名残惜しさ


30代はまだ「若い」と言われたりする。

40代はもう「中年」というカテゴリーに分類されるだろう。

もうおばさんなのだと頭では分かっているのだけれど、

面と向かって言われる機会も減った今、

気持ちは今も若かりし頃と変わらなかったりする。


昭和の頃、友達のお母さんは「おばちゃん」だった。

今は、「〇〇ちゃんのママ」とか「〇〇ちゃんのお母さん」と呼ぶ時代。

人様から「おばちゃん」と呼ばれる機会がほぼなくなったからこそ、

自分で健全に認めることも大切なことなのかもしれないと感じます。


「若い」は終わりを告げたが悲しいことばかりではないのです。

人生経験も積んできたからこその深みがあるし、

人間としての味わいと奥深さが増したようにに感じるのです。



「子ども」というものへの名残惜しさ


「これからはママのこと、お母さんと呼ぶから」と言った言葉に、

少しづつ自立していこうとする娘の気持ちが伝わってきて、

切なくなりました。


あとどれくらいの間、甘えてくれるのだろう。

「ママ大好き」って言ってくれるのだろう。

満面の笑顔を向けてくれるのだろう。


そのうち、

「もう一人でお風呂に入るから」って言われる日がくるでしょう。

「もう一人で寝るから」って言われる日がくるでしょう。


日々の中でいつの間にか、終わりを告げているものもある。

思い返したらあの時が最後だったということもあるし、

いつが最後だったか思い出せないものも多々あります。


子どもの成長は本当にうれしいことだし、喜ばしいことです。

と同時にさみしさと名残惜しさもあるのです。


だからこそ、今日この子たちとたくさん笑って

たくさん「大好き」って伝えていこうと思います。

そして行動でも「大切な存在だよ」と示していこうと思います。


長女からの手紙


そんな、「ママ」卒業宣言をした長女ですが、

長年のクセはすぐに変えられず、やっぱり「ママ」って言っています。

「ママ」と呼ばれる日もいつ最後が分からない。

だから、この今を大切に味わっていきたいなと感じました。



これからも、マイペースにこれまでの育児を振り返ったり、

日々の育児のことを綴っていきたいと思います。

また、お付き合いいただけるとうれしいです。

お読み下さりありがとうございました。

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