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小学一年の娘の登校を一年間見送り続けて想うこと


小学一年の娘の登校を毎朝見送り続けてきました。
家から子供の足で歩いて15分程の小学校。
ほぼ毎日小学校の門まで送り届けました。

暑い日も寒い日も
雨の日も風の日も
ニコニコの日もケンカした日も。

慣れるまでと思って始めた朝のお見送り。
気付けば一年経っていました。


ピカピカの一年生に


昨年の4月。
初めての小学校に娘だけでなく、私もドキドキしました。
保育園の時は、必ず親が教室まで同伴していました。
その日の様子も担任の先生から細かく聞けたし、連絡帳にも書いてくれていました。

子どもの様子、お友達とのやりとり、日々の様子を全部知れているような安心感がありました。そこから一転、子供が一人で登校して帰ってくる。
担任の先生と言葉を交わすこともなければ、よっぽどのことがない限りは連絡帳のやり取りもない。

子どもの様子を知るには、子どもに聞くしか手段がない。
そんな初めての状況に戸惑いや不安もありました。


初めての登園


入学式が終わり、初めてランドセルを背負って登校した日。
校門まで見送り、姿が見えなくなるまで手を振りました。そして娘の姿が見えなくなると、心にポッカリ穴が開いたような寂しさがありました。

頭では分かっているけど、いつか自分のもとから羽ばたいていくのだと実感しました。娘の成長は心からうれしいけど、やはり巣立っていくのを想像するとさみしさは大きいです。

それから、子どもの見送りをしているのですが、最初は一ヶ月くらいかなと思っていました。子どもに聞いてみると「一緒に行こう」と言われるのでずるずると続いていたのです。

どんな形であれ、母を求めてくれるうちは、できる限り応えたいなという気持ちもありました。


娘との朝の時間


気持ちのいい春の季節。
たくさんの花が咲いている花壇や公園の新緑を見ながら歩きました。まだまだ慣れない学校生活。
毎日、名札は? 帽子は? 連絡帳入れた?
忘れ物がないように声かけあって頑張っていました。

梅雨のじめじめした時期。
雨の日は次女を抱っこ紐で抱えて、傘を差しながら歩きました。このころには、うっかり者の母と子。どれだけ頑張っても忘れ物をゼロにすることはできないと悟りました。

子どもが忘れ物をしないようにサポートすることも大切だけど、忘れ物をしてもどうやってリカバーしていくのか。そんな力をつけて欲しいなと切り替えられるようになりました。

真夏の暑い日々。
もうそろそろお見送りはやめたいと思うほど暑い。紫外線が容赦なく40歳の肌に降り注ぎます。必ずお見送りの帰り道、近くの公園に寄るというルーティンもできていて、なるべく日陰を探しながら次女が遊び飽きるのを待つ。

初めての夏休みは、本当に学校のありがたみを感じました。普通に三食食べて、家事して、子どもの世話をしていたら、全然仕事がはかどらないし、自分の時間が取れない。
テレビに頼り過ぎるのも良くないが、暑すぎて外で遊べる時間帯も少なく、夕方には蚊がたくさん出てきて困りました。

秋になって散歩がてらのこの時間がとても楽しい。
少しずつ変わる気温を肌で感じ、公園の緑も少しずつ色づいていく。会社員の頃は時間に追われていたので、こんなに日々をかみしめて過ごすとこができなかった。
この時間の豊かさが心からうれしい。

冬になって、特に朝の時間は寒い。
そんな朝は次女が外に出たがらない。
イヤイヤ期真っただ中なので、着替えが嫌、靴履くのが嫌、それでも長女は「一緒に行こう」って言ってくる。バタバタしながら家を出て、遅刻ギリギリの時間になってしまう。「余裕を持つ」ということがなかなか難しいのです。


そして想うこと

子どもの登校を毎日見送るって大変でもあり楽しくもありました。何より、娘に「あなたは大切な存在なのだ」と伝え続けることができたこと。それが一番うれしいことです。

口で伝えることもとっても大切。行動で示し続けることはもっと難しい。
だからこそ、きっと彼女の心の中にずっと残っていくのかなと感じています。

初めての子どもって分からないことだらけ。
その時は精一杯で、子どもがかわいいと思えないくらい、追い詰められた日々もあった。
私にとって贖罪の時間でもあり、
赦しの時間でもあり、
愛の時間でもありました。

この時間を共にできたことが私にとって宝物になりました。二年生になっても、嫌がられないうちは、時々一緒に行きたいなと思います。


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