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小学校校門にて最敬礼の謎


事の発端


今日は、7歳の長女の忘れ物を届けに小学校へ。

普段は、わざわざ届けたりはしないのですが、

今日忘れたのは、「わいわい広場」の参加カード。

これは放課後に1時間半ほど校庭で遊ばせてくれるシステムで、

カードに押印したものを持たせる必要があります。


週に三回あるのですが、

うちの長女は友達と一緒でないと参加したがりません。

親としては、この寒空の下公園に連れて行くよりは、

校庭で遊んできてくれた方がとても助かります。


なので、昨夜、友人Aちゃんのママに連絡し、

一緒に行く約束を取り付けたのでした。


しかしながら、肝心の参加カードが子供机の上にあるのを発見。

我が子が困るだけならまだしも、

Aちゃんにご迷惑をかけるわけにはいかない。

そう思って、寒空の下自転車を漕いで小学校へ向かったのです。


3時限目と4時限目の休み時間に、

無事にカードを手渡したのです。


事件です


そして自転車を押して校門の近くまで来た時のこと。


今は、セキュリティの問題のためか、

校門は締め切られています。

そのため、都度、門の開閉が必要になります。

門の前で一度自転車を止めて門を開けて通過し、

その後もう一度自転車を止めて門を閉めるという作業が発生します。

次女を前のかごに乗せた自転車で、

この作業が地味に面倒。


ちょうど少し前に自転車を押した保護者が。

<おお~ラッキー>と思いました。

これで一緒に通過しようと思っていたら、

「ガシャーン」と勢いよく閉められてしまいました。


私の頭の中は「?」でいっぱいになりました。

すると直立してこちらを向き、

軍人のような深々と潔い最敬礼をされました。

何が起こったか良く分からないでいたのですが、

どうやら学校に向けたものだと思われます。

きっと先生方や校舎、学校という存在そのものなのか、

彼女が敬意を表しているものはそういったものと思われます。



それでも「そっち??」とツッコミたくなる自分がいました。

私だったら、小学校の校門で最敬礼はしない。

私だったら、後ろから来た人を通すだろう。

それが優しさではないか。


そう思いながら校門を通過し、門を閉める時、

お辞儀をするべきなのかと一瞬迷う。

私は神社の鳥居だったらお辞儀はするが、

やっぱり校門ではしないと思いなおす。


それでも、家路に向かう時、なんだかあの最敬礼が頭から離れない。

それくらい潔く深く迷いがないものだったのだ。


大切なものって


その人が大切にしているもの。

私が大切にしているもの。

そこに優劣はないのだと思った。


価値観は人それぞれ。

その人が大切にしていることを、

私も尊重したいなと感じたのでした。


その後、ちょっと気になって検索してみました。

どうやら、学校によっては礼儀として、

校門での一礼する教育をされているところもあるようです。

一日一日、感謝の気持ちを表すこと。

すごく素敵だなと思いました。


また、他にも

「世界には学校に行きたくてもいけない子供もたくさんいる。

学校に行けることを感謝する意味で一礼すると教わった。」

という意見もありました。


本当にその通りだなと思いました。

学校に行きたくても行けない子供たちに比べれば、

私の自転車のくだりは些細なことのように思えてくる。


色んな人と接することで、

気付きをもらえることが素敵な事だと思います。

それでも、彼女の最敬礼を思い出すと、

どうしても笑いがこみ上げてくる。

と同時に愛しさも感じるのでした。

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