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もっとも難しいことは

 twitterでサッカー繋がりでフォローしていて、いつも面白いnoteを書いている方が、「みんなで同じテーマでnoteを書くサークル入りたい人〜!(意訳)」と呟いていたので、颯爽と1番のりで手を挙げてみた。なかなか遅筆な私も、締め切りがあれば頑張れそうな気がする。サークル、その響きだけで「やだワクワクする!なんだか楽しそう、キャッ!キャッ!響きが青春!」とついつい手を挙げた。しかしふと気がついたら、私が大学生だったのはずいぶん昔だし(あらやだ、何年前かなんて計算したくないわ!)というか、青春も何も、現役大学生だった時もサークルなど入っていなかったではないか。アルバイトと課題に忙しくサークルに興じる暇など無かったし、というわけでサークルの先輩との甘い思い出ももちろん無い。そしてうっかり前のめりに手を挙げたものの、はた、と気づいた。みんなもしかしてめちゃくちゃ私より若いのでは…。お題を決めるためのLINEのオープンチャットでも「僕も91年生まれです!」との声が…Oh…!もしかして昭和生まれ私だけ!?

 あぁ、すっかり前置きが長くなってしまった。というわけで、そんなこんなで興味本位で入ってみたnoteサークルの今回のお題が「もっとも難しいことは」なのである。同じハッシュタグで書いているサークル仲間がいるのでぜひそちらも読んでいただきたい。そして私1人、昭和風情のことを書いていても、どうか許して欲しい。

 やっと本題。もっとも難しいことってなんだろう…
早起き。そう、私は滅法朝に弱い。朝5時に起きるくらいなら朝5時まで起きていた方がマシなくらいの夜型人間、遅寝遅起きが大好物だ。
おしまい。いやいやいや、これではもう終わってしまう。そう考えたとき、先日、twitterでこの記事が流れてきて読んだことを思い出した。

 生存バイアスとは、生存者バイアスとも呼ばれ「脱落したものや淘汰されたものを評価すること無く、生き残ったもののみを評価するというバイアス」のことを指します。つまりスタート時点ではいてたはずの人たち(そして多く場合こちらのほうが圧倒的多数)が、まるで「最初からいなかった」かのように扱われ、その上で「〇〇が成功の為の秘訣だ」というような言説につながってしまうことを意味します。
 体罰や我慢の強要はこの、生存バイアスの典型例として知られています。

そして、こう呟いた。

 私が考える「もっとも難しいこと」はこの「自分の経験を否定すること」だと思う。自分が今までしてきた辛く苦しい経験が全く必要の無いことだったと認めること、これがもっとも難しいことなのではないか、と思うのである。私は特に「思ったことはなんでもやってみる!やらない後悔より、やった後悔の方が1000倍マシ!」を信条に生きてきたので、滅多に後ろを振り返らない。私か猪かってくらい前しか見てないし、私かチャンスの女神かってくらい、多分前髪しかない。そんな生き方をしてきたから、どんなに「失敗したー!」って思うことだって、それがあったから今があるかもしれないし、それによって学ぶことだってあったはず、人生無駄なものなんて何も無いよねー!と思ってしまう。人間は誰しも、「自分の選択に意味があった」と思いたがってしまうのではないだろうか。例えば、眉唾なセミナーに高額を投じてしまった人もなかなかそれを認めることが出来ないという。眉唾なセミナーからでも「何かを得た」と思いたいから、自分の大金を投じるという選択が間違ったものと認めたくなくて、得るものを無理やり探して自分を納得させてしまう。スポーツの体罰や暴言、過酷過ぎる練習なんかについても、きっと同じ構造だろうと思う。

 「あの辛く苦しい練習が無かったら、今の自分はありません」良く聞くプロになった人の言葉である。この台詞は正解かもしれないし、正解でないかもしれない。苦しい練習をした人がプロになったからといって、「プロになるためには苦しい練習が必須」とはならない。これこそが上述した「生存者バイアス」なのである。プロになったり、成功した人の言葉だけが取り上げられる。プロになる才能があったのに、過酷過ぎる練習がその才能を潰したケースは語られない。もしくは、そのプロになった人も、その練習のやり方でなかったらもっと選手として上にいけたかもしれない。その可能性は語られないのだ。

 だから、この記事を読んだときは本当にびっくりした。

 バレーボール界でトップにまで登りつめた2人が、自分たちの置かれていた環境を否定し、新しい育成の形を求めて行動を起こしている。それはすごいことだと思う。

 今でも夢を見るの。全日本時代から1年に1回とか、引退してからもずっと。橋の上から自殺をする夢とか。チーム全員で死んでお詫びを、みたいな。それで私だけ飛び降りられない。うわーって飛び起きちゃいますね。スパイク決められなかった責任とか、自己否定をずっとずっと積み重ねてきた結果だと思うんだよね。「私、本当にダメだな」っていう劣等感を、ずっとずっと引きずっています。

 益子さんといえば、バレーボールに全く詳しく無い私でも知っているほどの選手である。その選手がこのことを認めるのは、どんなに勇気のいることだっただろうと思う。私はこれがもっとも難しいことだと思う。成功した人が自分の経験を否定することは、普通の人のそれより、ずっと難しいと思うのだ。そして、その日本代表にまでなった選手をして、こう言わせてしまう指導は本当に正しかったと言えるのだろうか。

 と、まぁこんな風に偉そうに語って来たけれども、「自分の経験の否定」は私には本当にとっても難しく…バツ1だけど、その前の結婚がなければ子どもたちはいなかったわけだし、今の私の価値観も生まれてないだろうし、公私共に紆余曲折、山あり谷ありまた谷ありだったけど何とか今幸せに生きてるし、選択ミスったこともあったと思うけどオールオッケー!とか思っちゃうのである。

 唐突だが、一昨年、長女がお腹にいた臨月の時まで体重が増えてしまい、一念発起して「月曜断食」という週のうち1日断食して他の日を糖質制限して過ごすダイエットを始めた。そして1年で13kg痩せた。昔のパンツも入るようになり、洋服買うのも楽しくなった。会う人会う人に痩せたねって言われるのが楽しくて。でももうそろそろ、ちょっとくらいならパスタもご飯も食べてもよいかも…糖質オフデザートだし食べちゃえ。としているうちに、あれよあれよという間に1年で7kgリバウンドした。そして、なんなら週1断食しても糖質オフしてても前みたいに体重が落ちなくなったうえ、私はいざとなったら痩せられるという変な自信まで付いて自分に甘くなって、余計に痩せられない。

 ああああ、誰か私のダイエットは無駄では無かったと言って。もしかして…いや…多分…おそらく本当は過度な糖質オフではなく、摂取カロリー<消費カロリーになるようにバランス良い食事と運動習慣をつけることをすべきだったんじゃないだろうか…分かってる分かってるけど、認めたくないよーーーーーーーーーーー!!!ほら、食べ物の成分表示とか気にするようになったし、MAXから考えたらまだ6キロも減ってるわけだし…さ!
あー、自分の経験を否定するのって、もっとも難しい…!

いただいたサポートは次女が海外挑戦するときの費用として大切に貯めておきたいと思います!!よろしくお願いします。