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私と父。(2)

厳格な父?!

父の性格は、一言でいうと真面目。
「父たるもの、こうあるべき」という理想像もあり、それに近づくように日々行動していたように思います。
そんな父は、相田みつをさんと、イチロー選手を敬愛していました。
トイレの中には相田さんの日めくりカレンダー、父の本棚にはイチロー選手に関する書籍がぎっしりと並べられていました。
ですが、年を重ね、子どもたちがそれぞれ独立するようになった頃には随分と肩の力が抜けていっているように見えました。
お笑いが好きだということも、私が大人になってから初めて知りました。
周りを喜ばせることが大好きで、本来はひょうきんな性格だということものちのち知りました。
NHKの「LIFE」を見ることも楽しみの一つだったようです。

方向音痴だよね?

旅行や、買い物に行くときは、必ずといっていいほど父はみんなを先導していました。せっかちな性格と相まって、ときにはツアーガイドさんよりも前を歩いていたほど。トホホ。
正直、ガイドさんからしたら苦笑いだろうなぁと思います。

そして、父は決まって「そっちじゃないよ!」とみんなに呼び戻されていました。
というのも、父は根っからの方向音痴。
行く先もわからないまま、ただ先導していたのです。
結局行き方がわからず、みんなのいる場所まで舞い戻ることに…


書くことが好き

父は昔から書くことが好きだった。
ほぼ毎日日記を書いていたんじゃないかと思う。
私が何度か日記を書くことにチャレンジしたのも父の影響が大きかったと思います。私の場合は長続きしませんでしたが…
A4のノートにびっしりと父の字が埋め尽くされていた。
納屋には父の日記帳がどっさり山積みになっていました。
今、私が、自分軸手帳に出会ったように、きっと日頃の感じたことや気付きを父も書いていたんだろうなと想像しています。


母への愛

母は自分の感情を素直に外に出すタイプでした。
一方、父は穏やかな性格で怒ることも少なかった。
ですが、お酒が入るとたまに、日頃の鬱憤を母に物申すシーンも。
もちろん論破され、あえなく撃沈。
その様子をみて、娘ながら随分とストレスをためているんだろうなと憂いたこともあります。

ときに父に、
「母と生活を共にするのは大変じゃない?」
と聞いたこともありました。

それでも父は、
「母と出会ったから、娘もでき、美味しいごはんも毎日食べれて、いまの生活がある。こんな幸せなことはないじゃないか」
「母の性格を一番理解しているのは、俺だ」
と言っていました。

父が長年の生活で、母(妻)を熟知し、そしてまるっと受け入れているということ、二人は夫婦なんだなと。
母への愛情の深さを感じたのでした。


私と父。(3)へつづく。

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