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ベトナム好きの私が初のベトナム旅行で盛大にぼったくられた話

 はじめましての初投稿。ハノイの旧市街にあるカフェのマネージャーとフリーライターをしております、長島清香と申します。noteを始めるにあたり「100文は一見に如く」を信条に、皆様の脳裏にありありと風景が浮かぶような文章をつづっていけたらと思います。記念すべき初投稿ということで今回は、ベトナムを拠点にしちゃうくらいベトナム好きな私が、初めてのベトナム旅行で盛大にぼったくられたお話をひとつ。

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 私が初めてベトナムを訪れたのは、2012年。その時はマレーシアに駐在していた大学時代の先輩を訪れる計画を立てていたのですが、「なんか一カ国じゃ物足りないな」という気持ちから、軽い気持ちでベトナム行きを決めました。選んだ行き先はホーチミン。王道のメジャーどころをピックアップしたわけですが、まぁ、これがよくも悪くも今に続く物語の始まりとなります。

 ホーチミンに到着した翌日、メインの観光どころ・サイゴン大聖堂を観光したあとで、さてこれからどーすっかなーと日差しを避けながら歩道で立ち止まって考えていました。今と違ってGrabなんてもんはありませんでしたから、旅行者が移動するにはタクシーをつかまえるか歩くかくらいしか手段がありません。でも、タクシーもぼったくられるって言うし……と逡巡していたところ、奇しくもちょうどそこが幼稚園の前でして、柵の向こうでは園児たちがキャッキャと遊んでいました。それを見て「ああ、ホーチミンにも子ども達がいるんだな、ここで生を受けて、すくすくと育っているんだなぁ」などと感慨にふけっていたところ、不意に後ろから「コンニチハー」と声をかけられたのです。

 「ん?」と思って振り返ると、チョコレート色に日焼けした人の好さそうなおっちゃんがニコニコ顔で立っていました。ヘルメットをかぶっているところを見るとバイクタクシーの運転手らしい。それで、私と一緒に子ども達を見ながら「コドモ」「カワイイネー」と日本語で話しかけてくるのです。今から思えばもう完全にフラグが立っているわけですが、初めての東南アジア一人旅で、やっぱりどこか心細かった私は予想外の日本語にいとも簡単に心を許してしまい、「そうですねー」「かわいいですねー」などとにこやかに返してしまったのです。

 すると、おっちゃんがすかさず「バイクに乗らないか」と言い出したんですね。この時点で止めておけばいいのに、私は私で「機会があればバイタクに乗ってみたい」などと思っちゃってたんですよ。「これが旅の醍醐味だよね」的な。でも一方でさらっと目を通した旅人のバイブル『地球の歩き方』に「バイタクはトラブル多し」と書いてあったことも覚えていました。「利用する際は最初にきちんと値段を確認すること」とも。

 それを覚えていた私は、ひとまず値段を確認せねばとおっちゃんに「いくら?」と尋ねました。でもおっちゃんはひたすら「イイカラ、イイカラ」の一点張りです。「え?でも…」「イイカラ、イイカラ」「いや、いくら?」「イイカラ、イイカラ」。もはや「イイカラマシーン」と化したおっちゃんに、なすすべのないベトナムビギナーの私。もう、ここでも分かりやすすぎるフラグ立ってるじゃん!と思うわけですけど、その頃の私はきっぱり立ち去るわけでもなく、かといっておっちゃんについていくわけでもなく、「いや、でも…」とその場でもじもじしていました。

 すると、おっちゃんはこのままでは埒があかんと思ったのか「自分には日本人の友達がたくさんいるんだ」とノートを見せてきたのです。どれどれ、と覗き込むと、表紙のところどころに折れ線の入った、かなり使い込まれているであろうノートには、おっちゃんと肩を組んで写真を撮った日本人や「このおじさんのおかげで楽しい旅ができました」というような、さまざまな旅行者からのコメントがありました。

 まぁ、この一連の流れも読み返してみれば全部『地球の歩き方』の2色摺りページに「ぼったくりバイタクの手口」として掲載してあったわけなんですけども、その時の私はそんなことはいざ知らず「へー、他の日本人も大丈夫って言ってるなら平気かな」と安直に思い、そのおじさんのバイクに乗ることにしました。もう本当に今私がその場に戻れるなら、冷水の1杯や2杯、あの頃の私に浴びせかけてやりたい。

 で、おっちゃんが「どこに行きたいんだ」というもんで、まずは「ベトナム戦争証跡博物館に行きたい」と言いました。そこには旅の間に行ってみたいとは思っていたけれど、私が泊まっていたホテルからは少し離れており、ちょっと歩くのはかったるいなーと思っていたんです。すると、おじさんは「オッケーオッケー」と二つ返事で私をバイクまで誘導し、ヘルメットを渡してくれました。

 渡されたヘルメットをおとなしくかぶってバイクの後ろにまたがる私。「さ、いくよ!」とばかりに軽快に走り出すバイク。むし暑いホーチミンの街なかを風をきって走るのはとても心地よく、私は「あーこれこれ!これだよ!私、いま東南アジアを感じてる!この地球の上で生きてる!」とよくわからない達成感と高揚感が入り混じった気持ちで、おっちゃんの後ろで生暖かい風を受けていました。

 そして、ほどなくしてベトナム戦争証跡博物館に到着。本当に見ごたえがあって、心に響く博物館でした。別の機会があったら書きたいくらいの内容の濃さなのですが、今回のお話には関係がないので割愛。で、まぁそこでじっくり1時間半くらい過ごしまして、さて、おっちゃんのいる場所に戻ろうとした時に、一瞬「あれ、このまま違う出口からこっそり出たらうまく逃げられるんじゃないの?」という考えが頭をよぎりました。やっぱり素人ながら、どこかしら不安に思うところはあったんですね。でもすぐに「いやでも、ここから私、1人でホテルまで帰れないし……」と思い直してしまったのです。いや、そうじゃない、違うんだよ、逃げろ!最後のチャンスなんだよそれが!!!

 まだGoogleMapを開いてスマホ片手に歩く、なんていうのも一般的でなかったあの頃、私は素直におじさんの元に戻りました。そしておじさんは「おかえり」と満面の笑顔。このあとの展開を何も知らない私は、「いやー、とても心に響きました」的な感想をおっちゃんに向かって述べつつ、ヘルメットまでかぶせてもらい、至れり尽くせり状態でバイクに再度またがったわけです。

 さ、博物館も見れたし、このままホテルに戻ってもらおうと思った矢先、おっちゃんが「コーヒー豆を買いに行こう」と言い出したんです。今なら「ほら、きたよほら!もう完全にアレだよ!」と思うんですけど、その時の私はのんきに「あ、ちょうどお土産にコーヒー豆買いたいと思ってたし、渡りに船じゃない?」などと思い「行きたい」と返事をしたのです。それを聞いたおっちゃんは「よっしゃ」とアクセルをふかし、我々はおっちゃん御用達のコーヒー豆やさんに直行することになりました。

 着いたところは完全に家族経営であろう1軒のコーヒー豆やさん。店の奥に案内された私は、まだここでも「へー、おっちゃんが知ってる穴場的なコーヒー豆やさんかな」と店をきょろきょろと見回していました。もういい加減気づけよ私。でも、やっぱりおかしいのが、瓶に入った豆はあれど、値段がどこにも書いてないんです。それで若干不安になりつつも、特に愛想のないお姉さんにお茶を出されておとなしく飲んでいたのです。

 すると、おっちゃんが私に向かっておもむろにコーヒー豆が1袋250gであることを説明し始め、「何袋ほしいんだ」と注文受付開始。え?なんでおっちゃんが?と思いつつ、「じゃあ、4袋」「豆は挽くか?」「うん」「わかった」と短い会話を終え、おっちゃんはその内容をベトナム語でお姉さんに伝えました。そして、店のお姉さんがごそごそと豆を用意し始めてからやっと私が「で、いくらなの?」と聞いたら、「1袋50万VNDだ」と。当時のレートで50万VNDは大体2500円くらいなので、250gで2500円。いや、どんだけ高級な豆なんだよ、スタバ以上じゃんよ!

 そこでさすがの私も「あ、これはぼったくりだな」とやっと気づいて、「うわー……、これはまずった……ここから今すぐにでも逃げたい」と焦り始めたわけです。しかし、時すでに遅しと言いましょうか、ベトナムの店は間口が狭くて奥に細長い作りになっているんですけれども、その時点で私はかなり店の奥に押し込められてしまっており、「これで買わないと言ったら閉じ込められるかも……」と怖くなってしまったたのですね。そして、現実の時間で1〜2分の間に、どうにか穏便にこの場を済ませられないかと頭をフル回転させ、ひねり出した言葉が「やっぱり2袋にしたいんだけど」。

 しかし、おっちゃんは「えー、もう豆をひいちゃってるから無理だよ」と、いとも簡単に「ボラれてもいいから半額で済ませられないか」という私のセコいお願いを却下したのです。でもまぁ、考えてみたらそうか、豆の状態なら元に戻せるもんね、とその時の私も妙に納得して、でも「ならば」と思い「ベトナムドンがない」と言ってみました。ない裾はふれないんだから、仕方ないって思って開放してくれないかな、と。

 するとおっちゃんは軽やかに「日本円はあるんだろ?この近くで両替できるよ」と至極まっとうなアドバイスをくれました。そこで日本円もない、気がついたらホテルに置いてきてた、などど言えれば良かったんでしょうけど、ぼったくりビギナーの私はもう「あーもうこれは何を言ってもダメだ……」と観念モード。そして、本当に両替しないとベトナムドンがなかったので、近くの貴金属商に連れて行ってもらい、素直に1万円を換金して、そのほとんどをコーヒー豆と引き換えに無愛想なお姉さんに渡しました。

 福沢先生1枚と引き換えに手にした4袋1kgのコーヒー豆。「うわー、やってしまった……普通に考えて1万円ってけっこうな額じゃん……」と、コーヒー豆の入ったビニール袋がものすごく重く感じられます。「じゃあ、いこうか」というおっちゃんの声に促され、そのまま足取りも重くバイクに乗り直したんですが、でも一方で「よかった、無事に開放された!もうこれで帰れる」と安堵もしていたんです。そしてバイクが勢いよく走り出し、よし!このままホテルに……と思った矢先、おっちゃんがノリノリで「じゃあ、つぎはアオザイを作りに行こう!」と言い出したんです。

 「市場に友達がいるんだ」と後ろにカモを乗せてウキウキ声のおっちゃん。もう、さすがの私もこのまま付き合ってたらマジで全財産持ってかれると思い、「なんとかしてこのバイクを降りなければ」と頭の中は断り文句を探してフル回転。でも、さっきの経験からして真正面から「降ろして」と頼んだところで、この百戦錬磨のおっちゃんが下ろしてくれるわけがない……。どうしたらいいんだろう、どうしたら人は後ろに乗ってる人を降ろしたくなる……?考えるんだ私、自分に置き換えて……!と、禅問答にも似た問いを繰り返した結果、私が思いついたのが、急に具合が悪くなったフリで乗り切るという「Majiで嘔吐の5秒前作戦」でした。

 そうと決まったらグズグズしている暇はありません。軽快に走り続けるおっちゃんに、私はおもむろに後ろから「気持ち悪い」と声をかけてみました。するとおっちゃんの返事は「ナンデー」。いや、その返しは間違ってない、でも、今、とにかく私は気持ち悪いんだ。気持ちが悪いからバイクを降りなければならない、さっきは元気だったかもしれないけど、今は違うんだ。あれから怒涛の勢いで具合が悪くなったんだ。

 おっちゃんに丁寧に説明したところで取り合ってもらえない、とふんだ私は、もう単語で押し通すしかないと考え、ひたすら「もうダメ」「気持ち悪い」と繰り返します。それに対し、おっちゃんは「ナンデー」「ナンデー」と、こちらも「ナンデマシーン」と化して応戦。「もうダメ」「ナンデー」「気持ち悪い」「ナンデー」「もう吐く」「ナンデー」「ホテル」「ナンデー」。何度かめげずにそのやりとりを繰り返していたら「こいつ、本当に吐くんじゃないか」と身の危険を感じたらしく、しぶしぶおっちゃんはホテルに引き返すことを了承してくれたのでした。

 そして、そこからUターンして走ること数分、見覚えのあるホテルの近くの景色が見えてきました。もうこっちは安堵の気持ちもそこそこに、一刻も早くこのおっちゃんから離れることで頭がいっぱい。でも、泊まっているホテルを知られるのは嫌だったので、ベンタイン市場の近くだよ、と言葉を濁して、適当な場所で降ろしてもらいました。乗車賃は12ドル。今となってはこれも高いよ!と思うんですけど、その時はもう一刻も早くこのおっちゃんから開放されたいという気持ちでいっぱいだったので、速攻で払っておっちゃんとバイバイしました。

 おっちゃんのバイクが走り去り、自分1人になって改めて失ったものの大きさと初めてぼったくられたという事実に愕然として、しばらくしょんぼりしておりました。しかし、持ち前の切り替えの早さといいますか、懲りない性分といいますか、「あのオヤジのせいでこれから行くマレーシアも含めてこの旅行全部を台無しにしたくない、無事でよかったじゃないか、もう忘れよう!」と無理やり気持ちを切り替えて、普通の観光客よろしくベンタイン市場前の像の写真を撮ったりしていたのです。すると、そんな私に遠くから「おーい!」という呼び声が。「え?」と反射的に振り向くと、なんとあのオヤジが再び私に声をかけてきたのです!!

 「マジか!!!!なんでいるの!!!!」と私は大混乱。「ずっと見てた?」「てことは、嘘がバレた!!??」などさまざまな思いがよぎったのですが、もう振り返ってしまった手前、無視もできない。「どうしよう……」と私がオロオロしていると、なんとオヤジは特に気分を害した様子もなく、「ホテルまで乗せていくから乗りなよ」と私に向かって驚きの発言をしたのです。

 「え?どういうこと?」と思ったものの、私ももうあの頃の無知な私ではありません。「誰がぼったくられたバイクにもう一度乗ろうと思うんだよっ!!」と怒り気味で「ノーマネー!ノーマネー!」とオヤジを追い払いにかかったわけです。すると、オヤジはあろうことか「ノーマネー、オッケーオッケー」とウェルカムな雰囲気。いや、さっき私からまんまと1万円をぼったくったオヤジがタダで乗せてくれるって信じるわけないだろうが!って話なんですが、またまたその時の私は「え?タダなの?じゃあ…」とまんまと乗ってしまったのです。十数分前に心臓バクバクで乗っていたあのバイクのシートに再び……!もう本当に今私がその場に戻れるなら、冷水をバケツごとあの頃の私に浴びせかけてやりたい。

 しかし、実際のところオヤジはその後、無事にホテルの近くまで送ってくれて(ここでも本当のホテルは言いませんでした)、お金を要求することもなくすんなり「じゃあな」と背を向けて帰ろうとしたんです。「え?普通にタダで送ってくれたっぽい……」と若干の肩透かしをくらっていた私ですが、やはり最後に驚くべき出来事が。

 なんとオヤジが去り際に、私に向かって「誘われてもトランプをやってはダメだぞ」としたり顔で忠告してきたんです。そうそう、『地球の歩き方』にも「ベトナムにはトランプ詐欺が横行しているので注意するように」と書いてあったよねー、って、いや、アンタだよ!ぼったくってんの、アンタ!トランプ詐欺の前にコーヒー豆詐欺に遭ってんだよこっちは!!

 ぼったくった相手に他の詐欺に気をつけろ、って忠告するってどういうこと?どういう気持ちなのオヤジは?いろいろ頭を去来するものがありましたが、もう感情の振れ幅がすごすぎて疲れ果てていた私は言い返す気力もなく、オヤジの忠告に「うん」とだけ力なく返事をして、とぼとぼとホテルに歩いて帰ったのでした。

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 これが、私の初ベトナムでのぼったくり体験です。その後、気持ちが落ち着いたところでベトナム人の平均月収をググった私は、それが「3万円」というのを知り、あー私はあのオヤジを1/3か月養ったのかぁ、となんともいえない気持ちになったのを覚えています。この経験があって「なんなんだよ、この国!」と一度はベトナムに大いに失望したわけですが、そんな私がまさかこんなにベトナムを好きになっちゃうなんて、人生ってわからないものですね。そんなベトナムを好きになるきっかけのお話は、また別の機会に書きたいと思います。

 以上、『「ベトナム好き」の私が初のベトナム旅行で盛大にぼったくられた話』100文でお送りしました。


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