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火水水木。

火曜日。
褒められたいというより、励まして欲しいのかもしれない。
励ましてくれるというのは、いま私がやっていること、やってきたことは間違っていないと、認めてもらえてるということだから。
あとは「がんばってるね」とかそういうことを言われたい。褒め言葉とはちょっと違くて、労わりの言葉がいい。

水曜日。
誰かに慰めてもらうとか励ましてもらうのは難しいことで、それを諦めるのは簡単で、それを自分で自分にして、大丈夫な状態にするのは難しい。
もう人には期待しなくなり、諦めることができたけど、そこから自分のメンタルを自分で保つやり方、大丈夫にする術がまだ見つからない。
どういう時にどんな言葉を自分にかけたら、どんな扱い方をしたら、回復が早くてしんどくならないんだろう。
私は私の扱い方を知りたい。なるべく早く。

水曜日その2。
私はもっと何かを支えにしたり、あてにしたりしていいのではないか。何かに思い入れをしすぎて好きになりすぎて、それを生きがいかなんかにしてしまうと、好きじゃなくなったり、なんか問題が起きてしまった時に痛手を負うだろうと、距離を置いてきた。そうやって何物からも距離を置いて、すぐに移動してぐるぐるぐるぐると回り続けてきたから、今目眩を起こして倒れそうなのではないか。
もっと腰を据えて思い入れて何かを支えにしたり、生きがいにしたほうがむしろ生きやすいのではないか。
たとえ好きじゃなくなったり問題が起きても、自力で立ち直れるような、そんな胆力はもうついてる気がする。痛手を負ってもどうにでもなる気がしている。

「好き」は儚いからこそ、鮮度の高いうちに言葉で保存しておいたほうがいいんです。そして、言葉という真空パックに閉じ込めておく。
いつかやってくる「好き」じゃなくなる瞬間を見据えて、自分の「好き」を言葉で保存しておく。すると、「好き」の言語化が溜まってゆく。それは気づけば、丸ごと自分の価値観や人生になっているはずです。

推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない

木曜日。
お中元やお歳暮の季節がやってくると、毎日のように宅配便が来る。配達の人はいつもハキハキと喋って元気で愛想がいい。今日やってきた人もそうで、気持ち良い人だなぁと思ったけど、ふと心配になったりもした。
もともとそういう人で何の苦もなくやっているならいいけど、そうではなく、配送業は接客業でもあるから、努力して頑張ってやってたりするのかなぁとか。もともと愛想が良い人でも、体調が悪かったり落ち込んでいる時もあるだろう。そんな時でもいつもと同じ態度にしなきゃと無理する時もあるのかなぁとか。
考えてもしょうがないことを考え、ほんの少し苦しくなったりした。

夜ご飯を食べに入ったパスタ屋の店員さんは、お冷をちょっと乱暴に置いたり、受け答えがちょっとぶっきらぼうだったりした。
明太子カルボナーラを待ちながら、接客なんてそれぐらいでも別に良いよなぁと昼間の愛想のいい配達の人を思い出していた。
パスタを持ってきた店員さんは、これもまたちょっと乱暴にお皿を置いた後、私が落として気付かずにいた栞を黙って拾い、そっと机に置いてくれた。親切だった。咄嗟のことだったので、はっきりとしたお礼が言えなかった。ちょっと落ち込んだ。
あれこれ考えたけど、はきはきと元気に喋り愛想がよくて親切な人の前では、私もはきはきと元気に喋りしっかりとしたお礼を言わなくてはいけない気がして、それが億劫なだけかもしれない。

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