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泣きたい気持ちには時差がある。

病院が終わって細々とした用事を済ませたら『声もなく』の上映時間ちょっと前になるから、ちょうどいい観に行こうと思ってたけど、メンタルが追いつかなかったので、諦めて帰ってきた。
前に体調不良が結局最強だと書いたけど、メンタル不調もなかなか強い。

なんでこんなに泣きそうな気持ちになってるんだろうと思ってみても、それは間違いなく昨日起きた出来事のせいで、でもそれは昨日のことなのになんで今更こんな気持ちにと思ってみても、それはいつもの私の時差でしかない。

泣きたい気持ちにはいつも時差がある。


今日読んだ本。

この世はな、知らんことには、自分が知らんという理由だけで興味を持たれへん、それを開き直るような間抜けで埋め尽くされとんねん。せやから、自分の知っとる過去しか知らずに死んでいきよる。八十でくたばる時に考えるんは八十年間のこと、か頭からケツまで己のことや。己のことを考えるから苦しむっちゅうことに気付かず、今に通用する身の振り方だけを考えて、それを賢いと合点して生きとんねん。情けない話やのー。青年が、そんな退屈なやつらを歯牙にもかけんと生きていけるよう、わしは願うばかりやで
『皆のあらばしり』乗代雄介

芥川賞候補作だった『皆のあらばしり』。乗代さんの作品はいつも登場人物の力の抜け具合小説の抜け具合が絶妙で、そこが好き。
今回の作品は高校生とおじさんのバディもので、二人の会話が面白かった。

小説だけじゃなく好きだなと思うドラマも台詞や会話が面白いものが多い。
でもそれは一人の作家や脚本家が自分一人の頭の中でこねくり回した結果できた台詞や会話で、リアルにあるとしても喋りのプロの芸人さん達同士の会話で、そんなにありふれたものじゃない。
と思っていたんだけど、Twitterのスペースとか聞いてると、気の利いた会話が多くてびびる。
私が思ってる以上に、ウィットとユーモアに溢れた会話というのはリアルに存在するようだ。
リアルでも非リアルでもどちらにせよ頭が良い人同士の会話なのだけれど。

私はそこまで頭のいい方ではないし、きちんとした感情になるのも時差があって遅いし、だから言葉になるのももっと遅い。そしてそれが一つの考えになるのはもっともっと遅い。
どうにもこうにも鈍臭いので、小説やドラマにあるような会話には憧れるけど、自分がそれをするようになるにはほど遠いだろう。

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