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月曜日。
部屋中を右往左往して健気に掃除をしてくれてるお掃除ロボットがうっすらと埃を被っていて、申し訳ない気持ちになる。
部屋を綺麗にするのはあなただけど、あなたを綺麗にするのは私でした。

月曜日その2。
LINEをブロックしたことは正解だったのか。楽しかったことを思い出すと辛くなる。辛かったことを思い出すとさっぱりする。なんか矛盾。ブロックしたことを正解にするために、辛かった思い出だけ残すのも(そもそもそんな器用なことできないけど)なんか違う。楽しかったことをなかったことにするのは違う。

火曜日。
ドアの開け方、その音で父なのか兄なのかがわかる。父のガサツな開け方は傲慢な父らしいけど、兄の囁くような静かな開け方は兄らしくない。兄はここ数年で父に似てきて、だんだんと偉そうで独善的になってきたのに、ドアの開け方は昔と変わらない。

水曜日。
江國香織『シェニール織とか黄肉のメロンとか』と井上荒野『照子と瑠衣』を続けて読んだ。
2つの小説は、50年来とか30年来とかの付き合いの長い女友達の話だった。そこで今日たまたまLINEしてた友達と今年の春で出会って20年になるなぁと気づき、その発見を伝えててみたら華麗に未読スルーされ、大変恥ずかしいことになっている。

友だちとはすばらしい。というか照子が友だちであることはすばらしい。照子の存在 ー あたしが生きているこの世界に、照子も生きているこの世界に、照子も生きているという事実は、間違いなくあたしを励ますけれど、でもときどき、脅かされることもある、と瑠衣は思う。照子はときどき鍵になる。その鍵であたしは、今まで知らなかった場所、行ったことがない場所、行きたくても行けなかった場所、行く勇気がなかった場所へ行けるけれど、その鍵は、あたしが見ないふりをしてきた場所に通じるドアも、するりと開けてしまうからだ。

『照子と瑠衣』

木曜日。
もらったお釣りを、そのまま全額募金箱に入れるということができない。
お釣りなんだから私のお金なんだけど、人からもらったものをすぐ別の誰かにあげているような妙な罪悪感や気まずさがあって、だから店員さんがお釣りを準備している間に財布から小銭を出して入れる。
お釣りをもらった瞬間に募金箱の存在に気づく時も多々あり、そんな時にさっと入れられるような性質の人間だったらよかったのにな、と思う。
友達の前で募金箱にお金を入れて、「優しい!」とか「偉い!」とか言われ、もやもやしたり薄く軽蔑してしまったこともあるので、以来1人の時しか募金できなくなった。
募金をすることよりも重要視しているものがくだらない。

金曜日。
いったいどれほどの貯金があって、どれだけ安定した収入があって、どれだけ先々の不安がなければ、30万円もするピアスを買えるのだろう。買ったとしてどこに付けていくのだろう。日常使いできるのか。
両耳に15万円をぶら下げて日常を送るのかと思うとそわそわする。大変かわいいピアスではあるけれど。

土曜日。
母の遺品で今年の6月が使用期限のホッカイロが大量にあり、この冬で使い切らねばならない。

日曜日。
電車に乗っている誰かをホームにいる女の子が見送っているらしいのだけど、電車がなかなか発車せず、何度も手を振っており、なぜかこちらがちょっと焦ってしまって気まずい気持ちになってきており、「早く発車してほしい」などと思っている。

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