week25

火曜日。
病室に着いた時、母は既に息を引き取っていてベッドの側に兄夫婦と甥がいた。
私と父は母の状況が分からずにいたけど、私は心電図を見てそれが動いていないことを父に指差して見せた。
兄にも義姉にも何も言わせなかった。母の死を父に教えたのは私だった。
今でも機転が効いたな、と思っている。
今までもこれからも誰にも褒められないだろうけど。

水曜日。
父「お前『まいまいつぶろ』って読んだか?」
私「読んでません…読みたいとは思ってます…」
父「これ続編なんだけど一巻がどこいったんだか」
私「私が借りてます…」
父「なんだ。じゃあこれ」

木曜日。
誰かに救われるのが怖い。誰かにどうしようもなく救われてしまうと、その人に縋り付いてしまって、その人が自分の思ってた人とは違ってたとか変わってしまったとかで、勝手に「裏切られた」とか思ってしまうんじゃないと怖い。そうなると、救われたということでさえあやふやになってくる。
だから人に救われないようにしているところがある。
そんなこちらの思いはお構いなしに救われてしまうこともあるけれど。

金曜日。
「優しいね」と言われて嬉しくなるのは、それが偽善だからじゃないか。
本当に優しい人は「優しいね」と言われたら恥ずかしくなったり、憤ったりするのではないか。

土曜日。
温かい家庭に生まれて、愛情が飛び交う様をみて育たかった。
健康で丈夫な体で生まれなかったことはもう諦めているのに、家庭に恵まれなかったことに関しては、いつまでもうじうじしてしまう。
たぶん世の中には健康な体に生まれて幸せな話よりも、温かい家庭に生まれて幸せな話が流布しているからだ。そんな話が目についてしまうからだ。

日曜日。
自販機でお茶を買おうと思ってたのに、抹茶ラテを買ってしまった。
ディスプレイに大きな綾鷹があって、その下に小さな綾鷹が2つ並んでたから、小さな綾鷹だと思ってボタン押したら綾鷹抹茶ラテだった。もう一方のボタンは小さな綾鷹だった。
紛らわしくないですか。そこまで細かく見なくないですか。
さっぱりしたい口だったのに抹茶ラテはつらい…となり、贅沢だけれど買い直した。
自販機で売ってる小さいボトルって水かお茶ぐらいしかないのどうにかならないかといつも思っている。

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