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week16

月曜日。
3年ぐらいに前に新しく私の仕事となった書類作成の業務があって、でも1年に1回しか作らない書類だから毎年新鮮に「え、この数字ってどうやって出すんだっけ?何と何を足すんだっけ?どこが去年の数字を丸写しでいいやつだっけ?」となる。
いい加減、「毎年わからなくなる」ということを覚えたので、今年はちゃんと来年の私へ向けたマニュアルを作った。だけど自分の読解力がどれほどなのか、また自分の説明の仕方がわかりやすいものなのかどうかわからない。
来年の私がこれでわかるかどうかは1年後にしかわからない。

火曜日。
ネット書店で発売日前に予約してまだ届いてない新刊が、発売日前にリアル書店に並んでいる様子を見るのは何度経験してももどかしい。
私がリッチなオタクならば店頭に並んでいるのも買ってたかもしれない。謎の2冊持ち。アイドルオタクは写真集を何冊も買うらしいし。
でも残念ながらそこまでにはなれない。
だがしかし発売前の予約が初動に影響し、ひいては著者のためになると知ったならば予約せざるを得ない。
これは、よく訓練されたオタクになるための修行だ、と思って明日を待つ。

水曜日。
ずっと「友達が欲しいなぁ」という靄を纏わせながら歩いてきたけど、今日に至って「私は友達ができるような人間ではないのでは?」という壁にぶち当たった。
これが単に今日のメンタルが見せた幻だったらいいけど、どうも信憑性があるように思う。
その壁を詳しく分析して、何がどうしてそうなったのかつぶさに見てみたい気もするけど、なかなか根気がいりそうだなぁと腰がひける。

木曜日。
「他人の目を気にするな」と「他人の気持ちを考えろ」の間に広がるあれこれについて考えた。
私は自分のことを人里離れた山奥に住む怪物かなんかだと思っているのかもしれない。

金曜日。
「他人の目を気にするな」と「他人の気持ちを考えろ」の違いについて考えていたら、死角から「愛される自分になることを諦める」まで乱入して来て、三つ巴のわけのわからない展開になってきた。
「害のない人」と「愛される人」とは間に10,000キロメートルぐらいの隔たりがありそうでもあり、害のあるなしは愛には大して関係なく、愛なんてそんな単純なことではなく、もっとややこしくて複雑で深淵なものでもあるのはわかっている。
それでもやはり「他人の目を気にしない」を意識しつつ「愛されない人間なのだと諦める」ことと「他人の気持ちを考える」は両立せねばならないなどと気を引き締めたり。
そう考えると「愛されたい」という気持ちは他人を傷つけることの抑止力にもなってるのだなと気付かされたり。
だから愛されることを諦めたら怪物になる可能性があるのではと思ったり。
愛されるか否かばかりで、愛するという視点が抜けてるぞと突っ込んでみたり。
そんなことをやっているとだんだん面倒くさくなってきて、やはり人里離れた山奥に住む怪物になるしかないのではとか、どんどん思考が怠惰になる。

日曜日。
ハリセンボンのYouTubeで見て行きたくなったシズラーに行った。
野菜をたくさんとお肉とお魚ちょっとを食べた。
トイレにスマホを忘れた。
トイレにスマホを忘れるのはこれで3度目。
一緒にいた友達を無駄に歩かせて戻ったら遺失物係に届けられててちゃんとあった。
この友達と一緒にいる時にトイレにスマホを忘れたのは2度目。
他にも公園にスマホを忘れたことが1度ある。
それも今日一緒に居た友達と一緒に行った公園で忘れた。
その子の中で何かしらのブラックリストに入っていそうである。

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