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「 わたしはわたし 」



「受け入れない」は選択 


わたしは「嫌だな」「いらないな」って違和感を覚えることは「受け入れない」という選択を出来るよう意識している。

一見それは他人の意見や指摘を否定している様にも見えるが、そうではない。

「食べたことないの?美味しいから食べてみなよ〜」って勧められて食べた "パクチー" をわたしは好きになれなかった。

でも、「パクチー嫌いなんておかしい!」と言われても困る。逆に「パクチーが美味しいと感じるなんておかしい!」って主張をわたしが発することも無い。


受け入れない=否定ではなく、
「自分は受け入れない」という選択をするだけ


「受け入れられないもの」を無理やり受け止めなくたっていい。心には容量があるんだから、せっかくならその容量は「自分が受け入れたいもの」でいっぱいにしたい。



それは何も「人の意見を聞くな」「否定は無視しろ」という極論なんかじゃない。


自分と違う価値観や違和感を抱いていたものでも、出会って知っていくうちに「受け入れられるもの」に変わることだってある。それは自分の見ている世界を広げられる素晴らしい体験だ。

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ただ「受け入れない」という選択肢があるのを忘れないこと


「受け入れない」は私にとっては否定でも敵対心でも無く「わたし」を創る作業にすぎない


「大切にしたいこと」を大切にしていいんだよ

世間一般の当たり前があったとしても
「受け入れないこと」を選択していいんだよ

でも、同じように他の人もそれぞれ
「受け入れないこと」を選ぶことができるから

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結局は、「わたし」は「わたし」

大切にしたいことを大切に過ごしていたら、
「わたしも同じだよ」 「わたしもそれ好きだよ」なんて声を掛けてくれる人に出会えたりする。優しい世界が出来上がる。



あとがき

人の目を気にするのは私の癖みたいなもので、小さい頃からずっと変わらない。

「これでいいのかな?」
「あれ、わたし遅れてる?」

未だにそうやって振り回されてしまう。

だからこそ、
周りの人と違う感情や場面に遭遇した時

「わたしはわたし」

違和感を覚えたことには
「自分の中には受け入れない」という
選択をしてもいいんだ

ということをこれからも忘れずにいたい

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【関連note】





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