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やっと自分のことを受け入れられるようになった30歳

過去にも自分のことを何度も書こうと思ったことがあるんですが、面倒臭くなって辞めてきてしまいました。

そもそも、僕という人間に興味を持つ人なんていないだろう、という考えがあったから、ということもあります。

それと、僕の過去に体験してきたことは、誰しもが人生1回は体験するだろうという思いや、もっと大変な思いをしてきた人もいるしな、と思ってきたので、そこまで語る気になることが無かったのです。


僕は現在、整体師・ピラティストレーナー・僧侶として活動しており、(株)二休を経営しながら、その中の事業として「根本改善整体ヒミツキチ」という整体サロン、「一睡の研究所」という睡眠事業を営んでおります。

なかなか、異色の経歴ですが、実はそう思えたのもつい最近で。
世の中にはそんな人、ごまんといるだろうと思っていたので、自分自身認めてきたことは無かったのです。

実はその「僧侶」というご縁から、密教占星術を学ぶことになり、鑑定業も細々とやり始めたのですが、有難いことに自分を客観視することがようやくできまして。
なかなかの波瀾万丈な人生っぷりがしっかり出ていたので、これはマイナスな面だけでなく、プラス(強み)の面として捉えられるなと思い、惜しみなく出すようにしました。

それが実は今年、2023年7月の話です。(ほぼ1ヶ月前)

そんなことがあった後、施術の方の弟子仲間と話してた時に「もっと自分を出した方がいい、考えていることを出した方がいい」とアドバイスを貰って、今日、やっとこさ重い腰を持ち上げて、このnoteを書き始めるに至ったのです。
(そう言ってくれる人が居るの本当、有難いです)


今までは「第三者と比べて」という軸を元に「自分」を見ていたので、自分を出すに至らなかったのですが、これは結局「自分」を生きていなかったのです。

完全に「他者軸」で生きていたわけです。

これはもう、病む原因ですよね。
病むというのは病気になるだけの意味でなく、ストレスを抱えてしまったり
、悩み・苦しみを生み出しているということの意味でもあります。

「人からどう見られているか」ばかりを考えていたので、表面的にはよく見てていても、実際の中身はモヤモヤしたものを抱えていたりと、自分の心と体が一致してなかったわけです。


僕は真言密教の世界にいるのですが、最初に師僧に教えてもらったことが
『身口意の三密』です。

ではこの『身口意の三密』とは何か?

身…体、印契、所作
口…言葉、言動、真言、読経
意…意識、心、思考

この3つを『身口意の三密』というのですが、密教の修行においては、この3つを一致させることが非常に大切であると。
この3つが全て一致した時に始めて、法としての効果が出てくると。
なので日々、身口意が1つでもずれないように生活することが修行に繋がる、と教えていただいたのです。

ぜひ試していただきたいのですが、これが実践してみると非常に難しいのです。
言葉や行動はなんとなく合っていても、意識がそこにいなかったり。
過去や未来に飛んでしまって、「今この瞬間」にいない、なんてことが結構あるのです。

口では良いことを言っていても、内心は違ったり。
口で言ってることと行動が全然一致してなかったり。
(やりたくないとか言いながら、しぶしぶやってたり、とか)

身口意が一致してなければ、どんなことをしても効果は半減するのです。
「他者軸」で生きるということは、要するにこういうことなのです。

力(効果)が半減してしまうところを、また補うかのように、無駄な力みを作る。
結局は、ハリボテなので、脆いんですよね。
だからまた、力みで補おうとして、ずっと力が抜けない。
力が抜けない限りは疲れるだけなので、ずっとストレスを感じ続ける…。
ようやく気付き、行動に変化をもたらせたのです。

なので、今の僕のテーマは「一致感」なのです。
自分の心の内と行動、修行と日常、仕事と生活、経営と仏教、勉強と趣味、家庭と友人関係…、などなど…。

今までは、会う人によって自分のとある一面を適材適所で出してきました。
それも自分自身であることに嘘はないのですが、自分自身であるかというとなんか一致していない。
=ではなく≠なんですよね。

仕事においてもそうで、経営者である自分と、異色な経歴の自分をずっと分裂させていました。
仕事にプライベートを持ち込まないようにと、密教行者である自分をあまり出さないように、宗教色を出さないようにと、してきました。
別に仕事で宗教活動しているわけでもないんだから引け目を取る必要もなければ、元々は施術という人の健康に役立てるために、仏の教えという心の在り方を学ぼうと思って始めたのに、自ら勝手に負い目を感じて、分離感、不一致感を作り出してしまうというアホな行動をしてきてしまっていました。

身口意の三密でも触れましたが、そもそも生活の全てが修行であるのだから、仕事すら本来修行なんです。
それを分けてしまっていた時点で、アホが過ぎる。
それを仏門に入り、約6年目にしてようやく理解したのです。
(なんとも遅過ぎる)

僕という人間の中から、起きてから寝るまで、寝てる間も、癖も、全て身口意を一致させていく。

そうすると、今まで抱えていた悩み・苦しみの大半が、とてもしょうもないことだったことに気付き、捉われなくなっていきました。

ずっとしんどかったのも、全ては自分の身口意の不一致から起こっていた、要するに自分で悩み・苦しみを生み出していたということを心底実感したのです。

きっと不一致だったからこそ、人に自分を語ることすら抵抗があったんだろうな、と。
ちょっとずつ、こうした自分の中にある思考を言語化していくことをやっていこうと思います。

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