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取り急ぎ失礼いたします

あと1時間で日付が変わる。それまでにこの記事をアップしなければ、連続更新記録が途絶えてしまう。急いで何か書かねばならない。しかし、今日はネタ的な物事があった一日ではなかった。何を書いたらいいのだろう。何を書いたらいいのかわからない苦悩を書くしかないのか。

しかし、そんなものを書いてまで、連続更新を続けなければいけないのだろうか。今日で五十何日目だったか、はっきりとした日数を覚えてすらいない、そんな記録だ。それを達成したからといって、何があるわけではない。noteの機能が画像を表示して褒めてはくれるが。

思えば昨日の日記もかなり困った末の代物だった。

たまにはそういう日記になる日があってもいいとは思うが、そればかりではいけないような気がする。誰に何を言われるわけでもないが、私自身がなんとなくだめだと言っている。もともと長文を書きたい(のに書けない)私だ、できるだけ長く書く練習をしたいのだ。

しかし長く書くには相応の時間が必要である。あと1時間だと焦りつつ、しかし手が止まるという現象には気が急くばかりだ。早く早くと思うのに、頭は良いアイデアを出してきてはくれない。

私がアイデアをメモすることは希だ。ネタがストックされていることはあまりない。なんとなくこう、というものが頭の中で雑にさまよっていて、いざ何かが必要になったときには、その雑多な物たちを捕まえて言葉に変換しようと試みる。しかしそれは大抵、難しい。何がどこにあるかもわからない散らかった部屋で、小物を探すようなものだ。

やっとみつけた小さな何かのかけらを、大きくしようとしても、これもそう簡単にできることではない。この小さいものはどういうもので、どうしたら大きく膨らんでくれるのか、考えなければいけない。ここを適当にすると、あとで自分が困る。つまらないものができるから。

というわけで、急いで何か書けたとして、それがつまらなかったら、意味がないとまでは言わないが、でもちょっとがっかりするのではないだろうか。誰より、書いた自分が。もっとちゃんと書けばよかったと後悔するのではないだろうか。

無理やり更新することはないのかもしれない。私なりに頑張って書けたと思えるときに更新できれば、それでいいのかもしれない。

でもこの急ぎ書きを私は、公開してしまうのだった。

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