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「国際女性デー」に私が今思うこと

ちょっと前になりますが、3月8日は「国際女性デー」でしたね。

私の記憶の中では、数年前の日本だとこの日について広く注目されたり、ニュースに取り上げられるようなこととかはあまりなかった気がするけれど、今年はwomen's marchが都市部で行われたり、新聞やニュースでたくさん取り上げられたり、この日をテーマとしたオンラインセミナーが開催されていたりしていて、客観的にみて日本ってちょっと前と比較して変化しつつあるなと思った。そして、私たちZ世代が今の日本を変えていく役目を果たしているし、今後も担っていかなければならないなと感じた。

そんな感じで色々な想いを持ちながら過ぎた「国際女性デー」。皆さんは「国際女性デー」を通して何を考えましたか?何が頭に思い浮かびましたか?

確かに「国際女性デー」が日本で広く認識され、大きなイベント事のようになったことは嬉しく思うし、これは日本にとってジェンダー平等であったり、女性エンパワーメント推進のための大きな一歩だと考える。しかし、こうやってイベント事のように取り上げられているだけで、実際のところ現実日本社会は昔と比べて本質的な変化はあるのであろうか。

そこで私は「国際女性デー」を通して今一度一人の女性として「日本社会で変わってほしいこと」を自分に問いた。日本社会におけることで今後、本質的に改善してほしいことを自分に聞いてみたのだ。自分の中で様々な答えが出たけれど、やっぱり一番最初に出てきた想いが「正しい性教育の実施」であった。これは女性だけに限らず、もちろん男性にとっても大切なことである。しかし今回は「国際女性デー」ということもあり、女性目線で記事を書いていこうと思う。

私がなぜ「正しい性教育の実施」を日本社会に一番求めるかというと、私自身がまともな性教育を受けていないがために、とても大変な思いをしたからだ。そして正しい性教育の実施は今後の日本社会にある課題を解決していくと思う。

私は性教育をまともに受けていないとはいいつつも、もちろん、私は小学生の時には「生理」に関する授業を一回だけ受けたし、高校生の時には「性行為」について保険の授業で学んだ。このように教育機関で性教育について学んだものの、本当に基礎的なことしか身に付けていなかったように感じる。しかも私はそのような学びは「タブーな話」という意識を持ちながら学んだため、性教育や性の話=公共の場でするべきでない、という認識を幼い頃から持ってしまっていた。ちなみに、性教育は親から受けることはなかった。

そのような環境にいたせいか、私はずっと性にまつわる話を恥ずかしいものであると思っていた。だから、学校で性教育を受ける時も「嫌だな」「恥ずかしいな」と思っていたし、特に高校生の時は保険の授業で「男子も一緒の教室なのにまじかよ...」とか思いながら性行為に関する授業を受けていたことを今でも覚えている。今となってはなんでそんなに嫌だったんだろう...っていう話だが、当時は性に関する話はタブーな話、恥ずかしい話、という意識を常に持っていたため、そう思ってしまったんだと思う。いわゆる「下ネタ」と「性教育」を一緒のものとして考えていたのだ。馬鹿馬鹿しいが、こういう考え方をしていた子は少なからず、私以外にもいたはずだ。性教育=エロっていう考えをしてい子はいっぱいいたはず。だって、保険の授業で「失笑」が起きるくらいだから...。

自分の中で性の話がタブーであるという意識が芽生えたのは、やはり過去を遡っていくと今まで生きてきた環境や、受けてきた教育が影響していると思う。今から思い当たる節をいくつか述べていく。

小学生:小学校の時、私はいわゆる初めての性教育を受けた。それは「生理」に関する授業であった。当時は生理なんてまだ自分にはこないんだろうなぁ、と思っていたし、大人になったら起きる現象っていう認識があった。そんだけだ。しかし、授業を受け始める前に、私は違和感を感じたのだ。生理の授業が始まる前に、教室を男女別にされたのだ。その時点で私の中では「生理に関する話は公共の場では話してはいけないことなんだ」という意識が根付いてしまった。また、「必ずナプキンはポーチに入れること」と徹底的に言われたのも、「生理であることは隠すべきことなんだ」という意識が根付いたきっかけにもなる。もちろん、まだ小学生ということもあり、生理の授業が終わると男子も興味津々で、冷やかし発言もされた。そりゃそうだよね...わざわざ教室を別にするくらいだもん。そんなことの積み重ねで、私は生理=恥ずかしいこと、という意識を小学生の時に持つようになってしまった。当時そうやって思っていたのは私だけだったのかはわからない、けれど、少なからず私はそう思った。そして、この意識は実は今でもたまに引きずっていると思う。(子供のころの影響って大人になってもかなり響くのだなと実感)というのは、私は「生理だからナプキン貸してくれる?」という発言が簡単にできない。生理っていきなりきたりするものだったりするから、これは女子の中ではよくある会話。でも私は聞くくらいならこっそり自分でナプキンを買いに行きたいと思う。最近は聞けるようになってきたけれど、少し前まではどうしても、聞けなかったのだ。これは自分が生理であることを周りにばれてほしくないという気持ちと、聞くのはタブーであるという気持ちと....とにかく「恥ずかしい」という感情を持ってしまうのだ。生理は自然なことだし、恥ずかしがる必要がないのは頭の中ではわかっている。しかし、幼少期の影響を大きいもので、今でもそれが生活に影響してきてしまうのだ。小学生の時の経験以外にも、コンビニで生理用品を買う時は生理用品だけ黒い袋に入れられたり、生理痛がひどくても大したことないと思われたり...タブーとまではいかなくても、生理に対してネガティブなイメージを持ってしまう機会が、現状日本では多いのではないかなぁと思う。

生理は女性が生きていくための大切な自然現象だし、一つの役割である。だから、生理についてネガティブなイメージ持ってしまう人や、恥ずかしいと想ってしまう人を増やしたくない。私の様に恥ずかしい、汚い...そういう認識を持って自分の生理を迎えてほしくない。もっと女性に生理について誇りを持って欲しいし、男女ともに、そして社会が生理についてフラットに話せるような環境が出来上がって欲しい。そういう環境をつくるためには、やはり幼い頃から正しい生理の知識を教えるという、性教育が大切であると思う。そこで私は日本は現状の性教育方法を一度見直した方がいいかと思った。絶対もっといい教育の仕方があるはずなんだよ。

高校生:性行為、いわゆるセックスに関する教育は確か高校生の時に保険の授業で受けたのを覚えている。しかし、セックスといっても「どうやって子供ができるか」という、生物学的なプロセスしか記憶に残っていない。精子が受精卵とくっついて、やっと子供ができるんだよ、みたいな(笑)避妊方法も「補足までに教えておきますね」というニュアンス程度でしか教えてもらえなかったし、なんならセックスとの向き合い方(ハラスメント防止や同意上のセックスの大切さetc)も教えてもらえなかった。すごく大切なのに。しかも友達とそういう話をしても、なんとなく下ネタっぽくなってしまうし...セックスについて、すごく興味はありつつも、きちんとした知識を私は学ぶ機会がなかった。教育機関以外にも、私は親に一度「子供はどうできるか」「セックスとは何なのか」とか、過去に色々聞いたことがある。そこで「まだ知らなくていい」と言われたり、曖昧な返し方をされたのは覚えている。それ以来親とは性の話はあまりしないし、私の中で、家族の中で性の話をすることはタブーという認識になっている(だからオープンに話せる家庭がちょっとうらやましい)このように、本当にうっすーらとしか今後の人生に大きく関わるセックスの勉強を受けていないのである。

こういう経験を得て、私の中でセックスといった性に関する話はタブーな事であったり、いやらしい行為っていう意識を持ってしまったし、話すとしても本当に信頼ができる親友とのみとしかできなかった。セックスは妊娠へと繋がる欠かせない行為でもあるのに、「恥ずかしい」「いやらしいこと」という意識を持ってしまった。そして、私はこういう意識を持ったまま大学に入った。

大学では一年間タイへの留学を経験し、そこでは様々な人種と関わることのできる機会が増えた。ありがたいことに私は10カ国以上の国々からきた留学生と仲良くすることができ、週に何回もアパートの部屋にみんなで集まって飲み会をしていた。その時にびっくりしたことが一つ。

「みんなめっちゃセックスの話する」 

私の中ではこれは驚きなのだ。なぜなら私は本当に心が許せる友達くらいにしかセックスの話はできないし、なんなら下ネタっぽくなっちゃうのに、この子達は初対面の人に対しても普通にセックスの話をしている。しかも下ネタ感が一切ない。そこで私はあるドイツ人に「Sayakaは週何回セックスするの?」と聞かれた。そこで私はもう恥ずかし過ぎて「なんてこと聞くの!」と笑いながら返した。そうすると「なんで?全然恥ずかしいことじゃないじゃん。セックスはスポーツだよ!」と言われた(笑)そこで私は性の話だったり、主にセックスの話をすることに対する考え方や視点が大きく変わった。セックスはいやらしい行為でも、隠すべき行為でもなんでもない。人間である以上普通のことなんだと。今まで、タブーな意識を持っていたから、これは大きな発見であると思った。それ以来私はオープンにセックスについて話せるようになったし、ちょっとした「性の縛り」に解放された気がするのである。

これもやっぱり私が受けてきた「性教育」と、その内容の具体性のなさに原因があるのではないかと思う。そしてそれは保険の授業で受けた性教育だけでなく、親やテレビの影響も含んでいる。日本での性教育は「男女の体のしくみの違い」「妊娠と出産」など、おおまかな性教育はしっかりと行ってきていると思う。とはいえ、「セックスとはなんなのか」、「性犯罪や性感染症から身を守る方法」など、さらに知るべき具体的な内容についてはタブー視し、触れないという方針をとっていると考える。その結果、私みたいに大学生になるまで、性の話をタブー意識しまう人が増えてしまっていると思う。私はタイへ留学していた当時、欧米諸国やヨーロッパ諸国からきた留学生と話していても、彼らは日本とは全く違うもっと具体的な性教育を受けているなと思った。だからこそ、性についてオープンに話せるのではないかと思う。かつ、性の話をポジティブなこととして話していて、すごく素敵なことだなと想い、素直に羨ましくなったくらいだ。

日本はセックスについてももっと具体的に子供に教育するべきだと思うし、ポジティブなイメージを持ちながら伝えていくことも大切であると思う。そして私がここまで書いといてだが、最も主張したいのは「避妊方法」をしっかりと具体的に教育するべきであるということだ。

意外と避妊方法ってまともに教育を受けずに自分で試行錯誤をして、学んでいく人が多いと思う。自分もその一人だ。コンドームの存在は保険の授業で教えてもらっていたけれど、実際付けるタイミングや付け方もわからなかったし、破れた時の対処方法も知らなかった。こういうのは事前に知りたかった。しかも緊急アフターピルや、定期ピルの存在や、飲み方も自分で勉強してやっと理解できたし、私は自分で必死に手探り状態で避妊方法を学んだ。こうやって私みたいに、悩みながら誰にも相談できないまま、自分の力で避妊方法を勉強する女性は多いと思う。避妊をきちんとするというのは、女性が自分の体を守るために必要なとても重要なことなのに....なぜこんな苦労をしなければいけないのか。なぜ日本はこんな曖昧な性教育で終わらせてしまうのか。挙げ句の果て、なぜタブーな話扱いなのか。そこをしっかりと直さなければいけないと思う。そこの疑問点を改めて見直していけば困る女性も減っていくはずだ。そして、それこそ避妊方法の教育が当たり前になっていくことによって、望まない妊娠や、それによる虐待死のパーセンテージを下げるといった社会課題の解決にもできると思う。

補足で「教育」の分野から話はずれるが「緊急アフターピル」ももう少し日本で買いやすくなってほしいなぁと思う。今の日本だと値段は安くて8000円だし、すぐに薬局で買うことはできなくて産婦人科で買わなきゃだし...本当不便すぎる。自分がセックスの同意をしたパートナーとならまだしも、レイプとかによる望まないセックスで避妊ができていない場合だって、起こりうる。そしてこれは悲しいことに、レアなことじゃないのだ。だからこそ全ての女性が緊急アフターピルにすぐ手を伸ばせられる環境ができてほしい。私が留学していたタイでは緊急アフターピルを500円で、しかも24時間の薬局で買えていたので、余計日本にもはやく買いやすくなって欲しいなぁと思う。

こんな感じで私がなぜ「性教育」をタブーなものであると最近に至るまで感じていたが、自分の経験と想いを混えながら述べてみた。

性教育は自分の人生に大きく関わってくる教育。とっても大切な教育なんだ。だからこそ具体的で的確な性教育を社会が全ての人に届けてほしい。特に日本では性教育方法や内容を考察しても、全体的にまだ性教育の重要性が十分に認識されていないと思う。今後もっと認識されてほしいし、内容も改善されてほしい。明るくて素敵な性教育を、誰も取り残されない性教育を、全ての人に届けていきたい。そして性教育をまともに受けられなかったがために、情報不足がために、困ってしまうような女性を減らしていきたい。誰もが生きやすい社会の構築していきたいよね。

性教育がきちんと実施されれば、性の話がタブーな話にならないだけでなく、先ほども述べた様に避妊方法を知ることによって望まない妊娠を防げたり、虐待死のリスクも減らせる。他にも、性犯罪が減少するケースも期待できる。様々な社会課題に影響していくと考える。

これが私の「国際女性デー」に想ったことや考えた事。くずれた文章で読みにくいし、わかりにくいけど、少しでも何か伝われば嬉しいな。皆さんは今の日本の性教育をどう思いますか?

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