【1989年100日旅】73日目。東ベルリン→西ベルリン
1989年6月17日は旅の73日目。西ベルリンへ1日観光に。当時西ベルリンは、共産主義の東ドイツの中に「ベルリンの壁」で囲まれた状態で存在した資本主義エリアだった。西ベルリンに逃れようとする人を阻止すべく、東側からは衛兵がベルリンの壁を守っていたし、その壁を眺めて涙を流す人もいた。
東ベルリンっ子には近くて遠い西ベルリン。でも、外国人の私たちにとっては、電車に乗って行けば、パスポートチェックだけであっさり入れる場所だった。駅から出た途端、ソ連からフィンランドに入った時と同様、違いを感じた。おそらく、共産圏には興味を喚起する看板や店等がなかったからだ。
ベルリンの壁を見に行く。東側では衛兵が堅牢に守り、近づくこともできないのに、西側はブランデンブルク門の裏すら落書きだらけ。誰も壁を見て泣いてはいなかった。
東ベルリンで人が泣きながら見、兵士が守っていた壁が、西側ではこんなに雑に扱われている。ギャップに少しぼおっとしてしまう。そのまま壁沿いを歩いていると、警察が交通整理をしているところに通りがかった。何だろうと見ていたら、いきなり地響きとともに轟音を立てて戦車が大量にやってきた。
1953年6月17日に東ドイツで発生した市民蜂起をうけて、西ドイツでは1990年まで、この日を「ドイツ統一の日」として祝日に設定していたそうだ。西ベルリンは西ドイツではなく、米英仏の3ヵ国占領地域だったから、6月17日に毎年3ヵ国が参加して軍事パレードを行っていたらしい。
軍事パレードが行われた場所は「6月17日通り」。でも、この日に西ベルリンに行ったのはまったくの偶然。連れて行ってくれた母も知らなかったから、アメリカ軍の戦車から兵隊が急に投げてきたチョコレートがビシビシと体に当たった時には、銃弾が飛んだのかと思って本当に怖かった。戦勝記念塔に向かって落下傘部隊も降りてきた。
そんな感じの73日目。旅は残り27日。
当時の写真。日本時間では18日に入っていたから、日付が一日ずれちゃっているけれど。
この記事が参加している募集
最後まで読んでくれてありがとう。気に入ってくださったら、左下の♡マークを押してもらえるとうれしいです。 サポートしてくださったら、あなたのことを考えながらゆっくりお茶でもしようかな。